ちきゅう色日記

生きること。一人の表現者として。

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例えば
自分だけのものだったら
秘密の鍵のついた日記を書いたらいい。

だけどみんながこうやって
自分の日常や出来事、感動した事
そういうことをネットで配信することというのは
少なからず何かの「表現」である。とわたしは感じている。

自分が生きるということも
自分以外の誰か、
何かに影響を及ぼしていることには間違いはない。よね。

どんなに引きこもったって
どんなに 匿名希望だって
あなたが発信してるメッセージは
ちゃんと「何か」に繋がっている。

その手段が人それぞれ違ったり
求めてるものが人それぞれ違ったり
ベクトルが違ったり
色々あるけど。


その表現方法が
あればあるほど、
その表現する場所があればあるほど、
人は気をつけなくてはならないこともあるし
逆にもっと生なましく研ぎ澄まされてゆくこともあるだろう。

さらに、ネットのような
そこに顔が見えないとなると。
そこに鼓動がきこえないとなると。
匿名を希望できてしまうとなると。

表現者は仮面をかぶった退屈な表現をしっぱなしで、
どこかへただ逃げてしまう傾向もある。
たまに見る 卑劣な言動。
あなたのあくどい表現から逃げるな。
まあ、逃げたところで
しっぺ返しは必ず帰ってくるだろうよ。


私はDIKA OMKAを始めてから
日本でインドで
いろんな人の前でメッセージを発信するようになった。
それは本当に小さな種まきかもしれない。

だけどその種がいい種か悪い種かで
世界か変わってしまうこともあるという
「危機感」をもたなくてはいけないと感じている。

そしてそれは仮面をかぶったARTではなく、
私の体、魂 すべてをつかったARTであり、
仮面をかぶらないメッセージである。

驚嘆にいえば、沢山のミカタをつけれることもあれば
敵が出来て殺されることだってあるかもしれない。
そういう覚悟だ。
大げさではなくて。

私は絵を描く事が好きだけど
インドネシアの満ちた自然美を体感し感動したとき、
絶対に自然の作り出すARTよりも美しいものなんて
この世には存在しない。と衝撃が体中をつらぬいてから、
自分の描く世界などただの資源の無駄ズカイだったと
思い、むなしくなったことがあった。

私の絵からなんて自然からのメッセージ以上のものがなかったし
見えてこなかったし
自分がただ感じてるだけのオナニーみたいなもんだったのだ。

そんなもので世の中を溢れ返してしまうほど
退屈なものはない気がした。

絵が「上手い」ひとなんて
この世の中にはいぱいいるだろう。
写真を撮るのが「上手」な人なんて
沢山いるだろう。
唄を歌う事がプロなみなひとなんて 沢山いるだろう。

でもそれだけ。

表現者よ。
何に命をかけてるのさ??!

生きるために必要なものを満たすために
手放さなくてはならない真実があるとしたら
それはしょうがないことなのかな?



もっと人が生み出す「ART」は
人に社会に「真理」を訴えかけるべきだし、
世界をより良く変えてゆくものでなければ、意味がない!
と、私は思った。


そしてこの自然のARTが私たちにいろんな気付きをもたらし
魂を癒すように、私たちの手から魂からあふれ出すARTも
そうでありたいと思った。


ARTは戦争ではない。時に何かと「戦う」けれど
           そこに血は流れない。

ARTはゴミではない。
ARTはアーティストだけのもではない。
ARTは世代を超えて、生き続ける。

ARTとは 死を超えた「生」。
ARTとは 傍観者はいない。
ARTとは それを超えてる。



そこに居合わせた人たちとの共鳴から成り立っている
ミュージックライブというのは、
その場その場でいろんな風に変わっていく
生き物みたいな表現、ARTである。

「ART」にはメッセージがある。
メッセージのない「ART」は
果たして「ART」だろうか。

そしてそこにメッセージを聞く人がいないとき、
それは果たして「表現」に繋がっているのだろうか。

秘密の日記を書きたくて歌ってるんじゃない。
伝えたいことがあるから歌ってるんだ。
メッセージがあるから、それを
音楽という手段をつかって奏でている。

奉納演奏だって
そこにある大いなる偉大なものを感じるから
そこに奉納するんだ。

相手が 人であろうが 自然であろうが 神といわれるものであろうが
生き物であろうが

そこに 伝えたい何かがあるからこそ
表現がある。


そこにさざめきあう 「生」「愛」を感じるからこそ
そこに歌うんだ。

だからこそ。

そこにあなたがいたかいないかで
たぶんそれは絶妙に違ってきてるんだよ。

いつもライブをして思うのは
奏でているのは
ミュージシャンだけではなくて、
そこに居合わせたみんなの「生」そのものなんだ。

タクトを握っているのは
実は音を奏でてる人ではなくて、
そこにいるあなたかもしれないし

さっき飛び出てきたあのすばらしい音色の旋律は
実はそこで帽子を脱いだ君が起こした
偶然の奇跡なのかもしれないってことさ。


すべては表現者。
傍観者はいない。

この世に生れたときから
もしくはその前から

自分の存在は 何かに必ず関係していて
自分がいなかったらよかったのに。なんていう世の中なんで
決してないってこと。

自分の生という糸
自分の死という糸

みんな いろんなところで ちゃんと絡まってる。

生きるということは死ぬまで表現者だ。

そして死ぬまで表現された「生」は
あの絶対に叶わないと思った自然が生み出すARTと
匹敵をとらない、最大に美しいアートなのだろうと
思うのだった。


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