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天正五年天王寺砦、仮設茶室。
静粛の中、お湯の沸く鉄蓋の音が茶室にいき渡る。
霜台、松永弾少弼正久秀はお気に入りの茶道具一式と掛け軸に囲まれた中で織田信長との間を考えていた。
あの男に初めて会ったのはいつだったか.........
そう、あ奴がまだ鼻垂れ小僧で、尾張の守を自称していたときだった。
松永久秀の回想
義輝御所、取り次ぎの間。
松永は鷹揚に「おぉ〜そうか、それは忠誠心、誠、感心。」
信長は神妙に「はっはは−。」
そうそう信長は田舎侍で礼儀作法も知らない田舎者だったな。
「フッ−。」
それがこともあろうか、義輝の弟を連れ、上洛するとは・・・。
まあ〜、あの時は、わしも三好党の中で窮地追い込まれていたからのう。
あれはあれで、助かったわい。
信長上洛直後、京本国寺、織田本陣陣中。
信長、「あ〜来たか。」
「通せ。」鷹揚のない無表情な声で。
久秀、「お目通り出来ましてありがたき幸せでござまする。」
チッラと信長の顔を盗み見る。
「これはつまらぬ物でございますが。」
持参の九十九髪茄子の壷を出す。
信長、さって、この老人どうするか、煮ても焼いても食えぬ者ぞ。
ただ、あの大名物は捨てがたいのう、それに今のわしの兵力では、五機内を制圧して維持するのは難しい、出来れば一人でも多くの家来が欲しい。
ただ、あの盆暗(義昭)がどう言うか。
まあ〜、よかろう、この老人、使い道がある。
「よい、我が陣への参陣許す、大和の国は切り取り次第といたせ。」
「必要であれば我が兵力を貸すことも苦しゅうない。」
久秀、神妙に「はぁはぁ〜。」
フン、たかだか壷一つで大和の国が手に入るのなら安い物だった。
それに五畿内と朝廷の政治向きのことはわしに頼って来るだろう。
じゃが、あ奴は畿内の平定を巨大な軍事力で、朝廷のことは、あ奴より田舎者と呼ぶのもおこがましい、田舎猿の木下藤吉ろうなどに任せよった。
まあ〜まあ〜、最初だから何とか上手く乗り切ったのう。
だが、この五畿内、そう簡単には治められない。
必ずや、わしに頼って来る。
だからわしは朝倉からの撤退で、朽木であ奴の命を助けたのじゃ。
案の定、五畿内が乱れ、信長は抜き差しならなくなって来た。
(三好一党の和泉上陸、石山本願寺の参戦、浅井朝倉の近江騒乱と京への進出)
わしに泣きついて来るのも時間の問題と考えていた。
じゃが、今度は朝廷と将軍を使うことで辛くもこの危機を脱しおった。
そして、その翌年、朝倉浅井を匿った、比叡山延暦寺をこともあろか焼き打ちにした。
わしは、奴に、初めて恐怖を感じた。
あ奴にとって、武士も坊主も公家も関係なく、自分の側に着くか着かないか、それだけで滅ぼすか滅ぼさないかを決めている。
「なんと恐ろしい奴じゃ。」
長慶が信長の苛烈差を半分でも・・・・、いいや十分の一でも持っていたのなら。
今頃は五機内をわしと二人で取り仕切っていたものを。
まぁ〜済んでしまったこじゃ。
それからだ、わしがあの漢を五畿内から追い出すことを考え出したのは。
そんな時、あのバカ将軍が俺に声をかけてきた。
義昭書状、「余に忠誠を尽くせ、近いうちに武田信玄が、余の招きに応じて上洛する。」
「上意である、信長に対して決起せよ。」
バカな男よ、我が兄を殺した人間をたよるとは・・・。
わしはその書状を読んで計算した。
信玄が三万、朝倉浅井が一万五千、摂津、河内、和泉で八千、三好党が五千と後わしが付けば、もう五千。
合計、六万三千の兵力が揃う。
あ奴は尾張、美濃、北伊勢・北近江の一部で、約四万、三河の小僧っ子が一万で・・・・約五万揃うか。
仮に信玄が上洛しなくても、美濃尾張国境まで迫れば、五畿内の織田の兵力は引かねばなるまい。
その時、わしが五畿内を統合すれば、今一度五畿内の実権を握り信長に対抗できる。
これならどんなに悪くても、五機内からあ奴の勢力を一掃することが出来る。
そう考えてわしは、三好義嗣を誘い信長に反旗を翻した。
じゃが、じ・ゃ・がじゃ。
まさか、あの信玄が死ぬとは思いもよらなんだは。
それを知ったわしはそそくさとあ奴に侘びを入れた。
だが、今回は前回と同じように茶道具だけとはいかなんだ、わしの傑作の多聞の城と大和守を差し出すことで、何とか助かった。
あ奴もまだまだ甘いのう、このわしを一度ならず、二度も許しおった。
まあ首がつながったことだけでもありがたい。
まだまだ、このわしに利用価値があると考えているのだろう。
信長寝所。
小姓、「上様、私にはわかりません、なぜ、松永殿を許されたのですか?」
信長、「あの老人まだ、使い道があるやも知れぬ、それに、あの老人が反旗を翻したとしても、如何ほどのことがあろうか、今や大和の一介の与力武将ぞ。」
「それに、あの老人は、すこぶる評判が悪い、次反旗を翻しても如何ほどの兵力が集まるか・・・・」
作者、(信長は、信長の計算が、久秀には久秀の計算があり、それが奇妙に=で結ばれた結果?)
天正五年、天王寺砦仮設茶室。
久秀、「フゥー、誰かあるか、誰か。」
小姓が「はぁー」
久秀、「少し疲れた、灸を据えて、腰を揉んでくれ。」
「フぅー、おお、いいぞ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「いつの間にか寝てしまったようだのう。」
「もうよいぞ。」
小姓、「はぁー」
久秀、「年を取ったのかのう、昔はこんなことはなかったぞ。」
過ぐる、某月某日天王寺砦本殿
久秀、「なに、多聞を解体して、一部を安土に持って行くだと、(絶句)」
(わしの作品を、・・・・・)
「少し奥の間にいる、こちらが呼ぶまで、誰も入ってくるな。」
久秀、あの多聞を解体するのか・・・・・・
そういえば、大和の国も、最初は塙、何とか言う信長の母衣衆上がりが来た。
猪武者のような奴で、案の定、猪のごとく突っ込んで死んだわい。
だが、その後信長に呼ばれ。
遡ること某月某日、天王寺砦信長陣幕の中。
信長、「原田備中守が死んだ。」
久秀、「・・・・・・・・・・・・・」平伏したまま。
信長、「・・・・・・・」
久秀、「・・・・・・恐れながら、原田殿は、ご武運がなかったかと・・・・・」
信長、「・・・・・であるか。」
(なるほど、この老人にとっては、意見を言う程の価値もない武将か。
そうか、わしが指名した武将は何の感想もない武将か。)
「あい解かった、追って、沙汰する。」
久秀、「はぁは−。」
現在の天王寺砦、奥の間。
そう、あの漢は、わしが作り上げたものを全て、わし自身から奪い去るつもりなのか。
そういえば、あ奴が天王寺砦で、塙が討ち死にした後の編成を言ったとき。
過ぐる、某月某日天王寺砦大広間。
信長、「今後の大和、南京の扱いを伝える。」
「大和の国、旗頭、筒井順慶。」
「○○○○・・・・・・」
その後、あ奴が天王寺砦を後にするとき。
たまたま、わしの横を通りかかって、
信長、「ご老人、年を喰われたのう。」
久秀。「・・・・・・・・・・・・・・・」
信長、「わは・は・はぁ〜」
現在、そうか、あ奴は、もうわしこのことなど、全然怖くないと言うのか、こんな老人一人、何をしようが、痛くも痒くもないとゆうことか。
そして、わしが作り上げてきたものを一つ一つわし自身から奪い去り楽しもうとの魂胆か。
久秀、「なめるな。」
わかった、あぁ〜わかった。
必ずや、あ奴に一泡吹かしてやるぞ。
-------------------------------------------後編に続く------------------------------------
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