あなざ世界

経済は水のような物、自然と流れ広がり、全ての人々に行き渡る物。富は、その流を積止め、いびつな流を作り貯めた水の事。

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Kanataです、明智光秀の独り言、荒木村重編を書きました。

時代背景
・織田信長が武田騎馬軍団を破り、本格的に石山本願寺を包囲軍の摂津守護荒木村重が謀叛を起こした心情を書きます。

信長の状況
戦線
・北陸は越中、能登を挟んで柴田勝家が上杉家と対峙。
・東は長篠合戦で破った、武田家の押さえとして徳川家康が担当。
・京周辺は、明智光秀が中心で丹波丹後を平定中。
・中国地方へは、長浜の羽柴秀吉が毛利家と対峙中。
・信忠(滝川和正)の尾張、美濃軍団は遊撃軍団として本国待機中

この頃、信長は、武田信玄、上杉謙信と他界して、拡大した領地から豊富な戦力がそろい、各戦線は家臣達に指揮を任せていた。
信長自身はもっぱら、政治と朝廷向きのことに専念していた。

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天正6年10月、有岡城内、奥御殿。
真っ暗な闇の中、燭台の光に照らされた荒木村重の顔がある。

荒木は盃を片手に謀叛を起こしたことを振り返っていた。

荒木。
初めて信長に会ったのは、天正元年、明智光秀の仲介で細川藤孝と一緒だった。
わしや明智と違い、信長は貴族然とした顔立ちで、無表情に俺や細川を見た。
わしは摂津三守護の池田勝正の家老だったが、無能な池田を蹴落として、三守護になったときだった。
わしや細川の挨拶に信長は「であるか。」と短い一言で終わらせた。

信長。
ほ〜う〜、これが細川と荒木か、細川とは何回か会ってはいるが、荒木は初めてだのう。
荒木は、陪臣からのし上がっただけあって不敵な面構えだ。
どことなく親父殿に似ている。
「細川は今後、明智の組下として励め。」
「荒木は摂津を切り取り次第とする。」

荒木、細川、「はっ−は−。」
細川、「織田家中に加えていただきありがたきしやわせ。」
荒木、「今後いっそう、織田家の為に働きもうす。」

荒木。
この時、わしは、我が耳を疑った。
当然わしの上位に、織田の家臣が来るものと考えていた。
信長はどうして、わしに摂津の守護を任せたのか・・・?

信長。
未だ、東に武田(長篠の戦い前)、西に本願寺。
義昭追放後、まだまだ五畿内は騒がしく、尾張の田舎侍では、治まるまい。
ここは摂津の国に勢力を張っている荒木に任せるのがいい。

荒木。
それから幾つかの戦で手柄を立て、織田家中でもそれなりの実力者と見られるようになった。
ただ、本願寺包囲作戦で、副将格の地位で指揮を取ったわしだったが。
総指揮者の原田備中が、安易な作戦で本願寺に攻撃を仕掛け、失敗、討ち死にして、わしの織田家中の地位が崩れはじめた。
それまでの副将格が、佐久間の組下に置かれ、浮浪児上がりの秀吉の手伝いをやらせられるとは・・・。

馬鹿な、原田備中が死んだのは、あ奴の安易な作戦に拠るところ、わしの責任ではない。
摂津の国も自力で切り取った国。
今更、佐久間や羽柴の風下に立たされる覚えはない。


確かに和泉に本願寺があったが、長篠の合戦で武田を破り、五畿内周辺で、信長に対抗出来る勢力はなかった。


ただ、その後織田家中では新参者の別所(播磨)から、毛利からの誘いを聞かされた。


-------------------------------------------第一話終わり--------------------------------------

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