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日曜日。
暖かい日で、木の芽や花が真新しくぴかぴかと光っていた。
気持ちのいいことは確かなのだけれど、たまにその陽気さについていけず
ひねくれた気持ちになることがある。
スプリングコートをひらひらさせて歩く女のひとと新芽は似ている。
私はまだピーコートのポケットに手をつっこんで歩いていた。
季節は勝手にすすんでいく。
変わらないわけにはいかないのだなあ、とぼんやり思う。
「永遠なんてものはなくて、あるのは瞬間だけだ」
と、最近読んだ本のなかでうぬぼれやの男が言っていた。
ちょっと前だったなら、いやな台詞! と思っただろう。
いまはちょっとだけ瞬間が優勢。
瞬間といえば桜。
枕(?)が長くなってしまった。
セツの友だちたちと花見をしたことを、書こうとしていたのだ。
井の頭公園。
花はおわりに近づいて、はらはら降っていた。
地面に敷きつめられた花びらは確かに淡くピンクなのだけれど、
見上げた桜は太陽を背負い、黒くかげって見えた。
静かにはじまった花見。
シートの真ん中には、セツの画版でつくった小さなテーブル。
どうやって場所を伝えたのか、ピザが届く。
おどろいたのは、みな音楽ができること。
経験があるとかないとかではなくて、「体の中に音楽を持っている」という感じ。
だから歌うのはほとんど即興なのだ。たとえば、「牛のうた」や「あほのうた」や
「血祭りのオムレツのうた」といった具合に。
ウクレレがしゃらしゃらと鳴る。オカリナもひよひよいう。
しまいには尺八(!)がほうほう響く。
そんな中ポップコーンや、スクランブルエッグや、焼きおにぎりやらを
つくりだすためフライパンが踊る。ひとも踊る。
料理はどんどんできる。チャーハン、ホットケーキ、トマトスープ、焼きえだまめ。
歌って、踊って、食べて、飲んで。みんなすてきなよっぱらいだった。
宴の途中に強い風がふいて、スコールみたいに桜が降った。
これまで「花吹雪」だと思っていたものは、ぜんぜん吹雪じゃなかったとはじめて知った。
夢みたいな「瞬間」に、公園中のひとたちが手をたたき歓声を上げた。
見ず知らずのひとたちと、同じものを見て感動するのは素敵だといつも思う。
だから私は、映画館や寄席や美術館は人のたくさんいる方が好き。
公園でそれが味わえて、とてもうれしかった。
朝に感じたひねくれた気持ちは、花といっしょに散ってしまったようだった。
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花は櫻木、人は武士
一休さんの言葉であり、『井戸の茶碗』という落語にも登場する文句ですが、
しみじみ思うねぇー そんなものを美と感じる日本人が減っていると。
2010/4/15(木) 午前 1:00 [ Mars_jj_boy ]