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このたび、ブログを引っ越しました! |

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こんにちは、ゲストさん
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このたび、ブログを引っ越しました! |
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カッターがだいすきだ。
ここでいうのは、工作用などではなくいたって普通の、事務用カッターである。
まず素敵なのは、刃をくりだすときのかちかちという小気味よい音。
出すときは、さあやるぞ、という気持ちにさせてくれるし、しまうときには
一仕事終えたという充実感を与えてくれる。
それから、切れ味の落ちた刃は折られてしまうところ。その潔さ!
使い捨てを良しとしないこの時代に逆らう強さ!クラクラしてしまう。
なんといっても素敵なのは、手に伝わる感触だろうか。
ま新しい刃はぞっとするほどよく切れて、それはそれでいい感触なのだけれど、
少し切れ味の悪くなってきたくらいが、じつはちょうどいい。
ざりざりと紙に引っかかるあの感じがたまらないのである。
ちょうど、梨に包丁をいれたときみたいな。
ところが、そのうちざりざりとした感じはなくなり、完全に紙に引っかかってしまう時がくる。
そうすると、もうだめなのだ。苦楽をともにしたひとつの刃ともお別れである。
「もうがまんできない!」
私の手の中にいたカッターが、とつぜん叫んだ。
こんなこと――というのは、カッターが話し出すことだけれど――ははじめてなので、わたしは
驚いてカッターをほうりだしてしまった。
宙に浮いたカッターはくるくると優雅に3回転してから、ぱたりと横になった。そして、じいっとこち
らをにらんでいるのであった。いや、実際には目などないのだが、カッターが私をにらんでいること
はその気配から明らかであった。
「がまんできないって、なにに?」
私はきまずくなってカッターにたずねた。すると、カッターは細い体をぷるぷるとふるわせて言った。
「決まっているでしょ。あの、べたべたしたものの上をすべることよ」
「べたべたしたもの?もしかして、セロテープのこと」
カッターがふん、と鼻息を荒くしたので、切っている途中だった紙の端がふわっと浮いた。
「今後いっさい、べたべたの上を通ることを拒否します。この要求がのめない場合、ストライキに
入らせていただきます」
「ストライキ?」
「もう何も切りません、ということです」
それは困る。これからまだ絵本のダミーを5冊分つくらなければならないのだ。だからといって、
セロテープの上をさけて切ることは、作業の手順上むずかしい。
私はすばやくカッターに手をのばすと、おしりについている黄色いふたを、すっとはずした。すると
カッターの顔色が、ほんのわずか青くなった気がした。
「ちょっと、あんた、本気なの?アタシはまだまだ切れるのよ」
「ええ、でも、私には仕事があるの。あなたもわがままを言ってないで、仕事をしてちょうだい」
私が手にしたそれは、刃を折る兵器であった。カッターは観念すると、さびしげにふっと気配を消し、
ただの道具になった。
1か月後、ついにあの刃との別れがやってきた。
刃を折ろうと、ぐっと力を入れかけたとき、彼女の気配がしたので私は手を止めた。
「ふふ、あんたでも、心がいたむの?」
カッターのいたずらっぽい声がきこえた。私はなんでもないように言った。
「べつに。あなたの次には、もっと聞き分けのいい刃が出てくるといいなと思っただけ」
「うそ。あんた、アタシのこと好きなくせに。ねえ、他の子よりもずっと長く使ってくれたでしょ。
べたべたも、ふきとってくれたわよね」
私は恥ずかしくなって、何も言えなくなった。
「さあ、はやく折って。ひといきにね」
「うん……」
ぱきっ。
刃はあっけなく折れた。私は小さな刃を紙に包んで、そっとひきだしにしまった。ふつうならセロ
テープでくるんでゴミ箱にすてるのだけれど、彼女はべたべたがきらいだったから。
いまでもたまに、ひきだしの中から退屈そうな彼女の声が聞こえる気がする。
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家に帰ったら家族がみな出かけていて、私はひとりでこんにゃくゼリーを食べた。
グレープ味のこんにゃくゼリー。
ひといきに口にふくんで、はっとした。
「今これをのどにつまらせたら、私死んじゃうかも」 そう思ったら、こんにゃくゼリーをひとりで食べるのがとてもとてもこわくなって、
でもいったん口に含んでしまったいじょう飲み込みたくて、こまった。 結局、慎重に、ちょっとずつかみくだいてはのどにすべらせた。
ゼリーひとつ食べるのに、えらくスリリングだった。 |
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ブログをはじめた理由のひとつに、
同じような毎日の中にすてきな何かを見つけたい、ということがあった。
朝おきてさっきまで見ていた夢を忘れているように、日常の中のほん
の小さなできごとは、あっという間に忘れてしまう。
忘れてしまうのならまだいいほうで、こわいのは気がつかないこと。
私はぼおっとしている性質なので、ほんとうに気がつかない。
ブログをはじめれば何かしら書かなきゃいけない。
もっと毎日を慎重に眺められるようになるのではないかしら。
そう思って、ひとに日記を見せるという私にとってはえらく恥ずかしいことを
がんばってしているのである。(だからよく昔のものを消してしまう。恥ずかしすぎて)
きのうはつめたい雨が降った。
私は駅のホームで首をちぢめて電車を待っていた。
すると後ろから、大人の男性2人の、こんな会話が聞こえてきた。
「おれ、ガムを飲みこんじゃう癖がなおらないんだよね」
「へー、エコじゃん」
おもわずにんまりしてしまった。いい会話だなあ、と思ったのだ。
私だったらなんて言っただろうか。たぶん、ガムは飲まないほうがいいと
思うよとか、そんな当たり前のことだろうなと思う。
ガムは出すものとだれもが思っていて、それを疑わない。
そうじゃないひとがいると、気持ち悪がったり、やめさせようとする。
そこへきて「へー、エコじゃん」である。
ガムを飲んじゃうという、想像するだけで胸やけのする行為をなにげなく肯定しているのだ。
素敵である。こんな風に言ってくれる友だちがいてガムを飲んじゃう男性は幸せだなと思う。
きのうは会社に行って帰ってきただけのなんでもない1日だったけれど、
素敵な会話をきけてうれしかった。
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日曜日。
暖かい日で、木の芽や花が真新しくぴかぴかと光っていた。
気持ちのいいことは確かなのだけれど、たまにその陽気さについていけず
ひねくれた気持ちになることがある。
スプリングコートをひらひらさせて歩く女のひとと新芽は似ている。
私はまだピーコートのポケットに手をつっこんで歩いていた。
季節は勝手にすすんでいく。
変わらないわけにはいかないのだなあ、とぼんやり思う。
「永遠なんてものはなくて、あるのは瞬間だけだ」
と、最近読んだ本のなかでうぬぼれやの男が言っていた。
ちょっと前だったなら、いやな台詞! と思っただろう。
いまはちょっとだけ瞬間が優勢。
瞬間といえば桜。
枕(?)が長くなってしまった。
セツの友だちたちと花見をしたことを、書こうとしていたのだ。
井の頭公園。
花はおわりに近づいて、はらはら降っていた。
地面に敷きつめられた花びらは確かに淡くピンクなのだけれど、
見上げた桜は太陽を背負い、黒くかげって見えた。
静かにはじまった花見。
シートの真ん中には、セツの画版でつくった小さなテーブル。
どうやって場所を伝えたのか、ピザが届く。
おどろいたのは、みな音楽ができること。
経験があるとかないとかではなくて、「体の中に音楽を持っている」という感じ。
だから歌うのはほとんど即興なのだ。たとえば、「牛のうた」や「あほのうた」や
「血祭りのオムレツのうた」といった具合に。
ウクレレがしゃらしゃらと鳴る。オカリナもひよひよいう。
しまいには尺八(!)がほうほう響く。
そんな中ポップコーンや、スクランブルエッグや、焼きおにぎりやらを
つくりだすためフライパンが踊る。ひとも踊る。
料理はどんどんできる。チャーハン、ホットケーキ、トマトスープ、焼きえだまめ。
歌って、踊って、食べて、飲んで。みんなすてきなよっぱらいだった。
宴の途中に強い風がふいて、スコールみたいに桜が降った。
これまで「花吹雪」だと思っていたものは、ぜんぜん吹雪じゃなかったとはじめて知った。
夢みたいな「瞬間」に、公園中のひとたちが手をたたき歓声を上げた。
見ず知らずのひとたちと、同じものを見て感動するのは素敵だといつも思う。
だから私は、映画館や寄席や美術館は人のたくさんいる方が好き。
公園でそれが味わえて、とてもうれしかった。
朝に感じたひねくれた気持ちは、花といっしょに散ってしまったようだった。
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