タイトルからして、重たい記事なので・・・お暇な方のみどうぞ。
私が年長さんの頃。
ちょっとのろまで、近所の同じ保育園のお友達からからかわれるタイプだった。
そんなある日、案の定、遊んでる最中、からかわれ、泣きながら一人てくてくと田んぼ道を歩いて帰ってきた。
そんな途中で、「どうしたの?」と聞いてきてくれたKちゃん。(途中にKちゃんちがあった)
『○○ちゃんにいじめ▲×◎★・・・』鼻水じゅるじゅるに泣いてる私。
「名前は?」「▲×◎★」(早口すぎて、聞き取れなかったとKちゃん談)
今でもちびの私だが、小さいときからちびだったので、背の高いKちゃんが同い年とは思っておらず、
小学生のお姉ちゃんかと思ってたのです。でも、誕生日が5日違いの同い年だったのです。
それから、事あるごとに仲良くしていたKちゃん。ケンカもしたけど、やっぱり、仲良くしてた。
高校まで同じところに通ったけど、気付けば、一度も、クラスが一緒になったこと無かったの^^;
大人になっても、お酒を酌み交わしたのも、数回。
お互い忙しくてなかなか会えず、半年振りに会っても、何も変わらず、安心できて、つい、小学生の頃に逆戻りできた。
お互いに、仲の良いお友達は幾人も増えたけど、子供を持った今の今まで、ずっとずっと続いてたのが、Kちゃん。
お嫁に言った先の舅・姑・出戻りの小姑に、日々難儀してたけど、それを気丈に笑い飛ばしながら、
「今は、我慢しておくわよ。その代わり、余生は別よ!」と、堪えてたなぁ。
東日本大震災が起こる2ヶ月くらい前、お腹が急に、妊娠時のように膨らんだ。
でも、自営業のため、決算が近かったのか病院にいくのをちょっと先延ばしにしてたらしい。
やっと手がすき、旦那さんと病院へ・・・その時は、すでに「卵巣がん」のステージⅣ位だったらしい。
「眠れる臓器」とか言われる「卵巣」。
婦人科健診などでも発見されづらい癌らしいです。
腹水がたまって初めて、自覚症状が出てきたとの事。
私は思うけど、得てして、家族の心配はすれど、母親・妻とは、自分の体の心配は一番最後になるのが常・・・
なので、こんな結果になったんだろうとは思ってます。
卵巣はもちろん、子宮とその周りの臓器の一部まで、摘出したと言ってた。
気丈なKちゃんは、こう言い放ちました・・「面倒なアレが無いのって楽だよぉ!」と。
Kちゃんは、22歳で第一子の長男を産み、すぐ1年後に、次男を産んでいた。
子育ての大先輩・・・お転婆あーたんの愚痴を聞いてもらっていたんです。
上の子が、今年の春高校卒業した。
私が、『大学は?』と聞いたとき、「本人のやりたいようにまかせてるから」といってたKちゃん。
亡くなってから聞いた・・・ちょうど、Kちゃんが癌が発見された辺りに進路相談で、進学をやめたらしいと。
息子って、愛情表現が下手だなとつくづく思った。
自分の将来をずらしてでも、お母さんの治療に掛けたい・・・でも、「あんまり勉強好きじゃないから」と、
母親のKちゃんには言ってたらしい。
Kちゃんも、内心は痛いほどわかってたんだろうなぁ。
・・・こうやって書いていても、涙がこみ上げてきちゃう。
お通夜の前の自宅で、動かないKちゃんが、棺の中で、白装束をまとい、穏やかな顔で横たわっていました。
しおれかけの花が挿してある花瓶に、Kちゃんが大好きだったガーベラとカスミソウのミニブーケを挿してきました。
出戻り小姑が、葬式の手配の手伝いをしに来てたけど、こうゆうところには気が回らないだろうな。
Kちゃんから聞いてた通りの人だったのかも・・と、一抹の寂しさを、このKちゃんの横たわる部屋に感じた。
娘が、「どうして、Kちゃん、お嫁さんみたいな白いの着てるの?」と。
そっか、お嫁さんねぇ・・・結婚式に呼ばれたとき、綿帽子被ってたよね。
まだ、社会人になって、一年も経たない21歳の夏に、Kちゃんは結婚しました。
その時、友人代表でスピーチをしたけど、めっぽうそうゆうことに弱い私のことがわかってか、
マイクの前で、頭が真っ白になってる私を、微笑んで、目で「がんばってぇ!」と伝えてくれてたのが、
まるで、昨日の事のように浮かんできます。
高校時代、仲良しグループの中では、どう見てもKちゃんは、キャリアウーマンになるだろうタイプだった。
大学も、秘書や経理の学科に通っていた。
私はといえば、家政科で、一番早くに結婚して、子供たくさん産んで、洗濯物干してそうだよねぇと言うタイプだった。
実際は、(キャリアウーマンには程遠いにしろ)逆のような環境にて生きてきてしまったわけだけど・・・。
早くに亡くなったのは、遣り残したことがある・・わけじゃなく、私が今、四十路を迎えてやっている子育てを、
二十歳そこそこで懸命に、やってきたKちゃん。
私よりもウン十年も早く、子育ての喜びと苦労を味わっていたKちゃん。
人生とは、ちゃんと、うまく出来てるんだろうな。
Kちゃんらしいのは、人に迷惑を掛けないで、逝ってしまったところ。
もっと、迷惑掛けても良かったのにな。
再入院のとき、お見舞いに行ったら、コンビニ弁当を食べていたKちゃん。
日曜だったけど、旦那さんも息子二人もいなくて、朝昼晩のコンビニ弁当を、
朝早めに1階に買いに行ってきたと話してた。
「病院の食事は、まずくて食べられたもんじゃないよ」と、眉間にしわ寄せて、話してた。
私は思った・・・嵩む治療費を少しでも気にしての行動なのかもなって。
真相はわかんないけど、男所帯なんて、そんなものかもねとも。
メールで、「こんどおべんとう持って、お見舞い行くね!」と話してたのは、結局実行できずに終わっちゃった。
Kちゃんが、新婚当初、「遊びにおいでよ」と言って、初めて振舞ってくれたおかず「鶏のそぼろ」。
料理が出来ないよ〜と言ってたのに、とっても美味しかった。
だから、Kちゃんに持って行くお弁当は、鶏のそぼろの三色ご飯って決めてたのだ。
作れずじまいだったけど・・・。
男っぽかったKちゃんは、新婚当初、「カレーとパスタとオムライスの繰り返しだよ〜!」と、笑ってた。
「女って、家事や料理は必要にさまられたら、やるから、大丈夫だよ」とも言ってたのが、懐かしい。
私も、子供の離乳食がきっかけで、料理が苦じゃなくなったもの。
幼馴染って、今、作ることが出来ないんだなと、しみじみ思いました。
過ごしてきた時間の長さって、すごいなぁって。
普段あまり思い出さなかった子供のころのことを、Kちゃんがたくさん思い出させてくれたな。
まだまだ書きたい・・Kちゃんの思い出をどっかに残したい。
明後日、告別式に出席します。
火葬場まで、ご一緒させていただけるように、ご家族が手配くださいました。
一つ私の中で区切りをつけるため、しっかり、Kちゃんを見送ってきます。