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錦糸堀車庫所属の29番系統は、須田町〜葛西橋間を走ってました。水神森から右折して暫く
専用軌道が続く長閑な風景でした。当時「ゼロメートル地帯」と言われた、この界隈は確かに 太鼓橋状態・・・現在は治水対策は万全で、川はとても良く整備されています。 この写真の左側が錦糸堀車庫で、現在では「丸井」のビルが建ってしまって面影は全くありません。 オープンな車庫は何度も足を運び、トラバーサーを定位置にピタリと止める技術に感激していた少年 時代でした。昭和47年11月12日廃止。 |
都電ねた
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この画像は携帯からではなくパソコンで見たいので
後ほど伺います!
2008/5/13(火) 午後 4:38 [ まさヤン ]
まさヤン>お待ちしております♪
2008/5/13(火) 午後 5:06
この位置からの写真、プロの写真家もかなり撮影していますよね♪ それらに比肩する見事な写真に敬意を払い、ぽちして行きます。
まつしまはそれらの写真を鉄道雑誌とNHKの新日本紀行と社会科教科書の副読本で見て、その度にすんごいところだなぁ、と嘆息したことを覚えております。ちなみに、その先生は江東区を『エトウク』と訓む人で、「え?このヒト、江東ゼロメートル地帯という言葉を知らないの?」と思った瞬間から『教師にも不勉強で尊敬に値しない者がいること』を小学生のまつしまに身をもって教えてくれました。
2008/5/15(木) 午後 11:18
まつしまさん>ポチっ☆ありがとうございます♪
この当時、教師による体罰は日常茶飯事で、ほぼ毎日、殴られていた小生はたくましく育てて頂きました。教師の家庭訪問で父親は「家でも言う事、聞かない悪ガキなんで、学校でもこっ酷くやってくだい」なんて親までにダメ押しまでされる程でした。昔の小学校内は今より緊張感があったような気がします。お粗末な教師は小学生でも見透かされて「あいつはホントに頭悪いね。スケベだし親の顔が見たい!」なんて陰口を叩かれていた先生も確かに居たのも事実です。
2008/5/16(金) 午前 6:09
ガキの時の行動範囲が中央区と江東区って感じだったので、
埋立地とかゼロメートル地帯とかなんか馴染み深くてほくそえんでしまいます^^。
2009/5/16(土) 午前 0:42
路じうら子僧さん>今、改めて見ると実に、のどかな風景ですが当時は普通に何処でもこの様な街でした。現在の縦長ビルばかりになってしまった都心部は人間関係も希薄になって寂しいです。
2009/5/17(日) 午前 7:57 [ 一路 ]