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町の沿革はご覧の写真の通り、現在、赤坂プリンスホテルの解体作業中です。
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街の沿革ネタ
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JALグループ機内誌「スカイワード」12月号です。作家の浅田次郎さんのエッセイを興味深く拝読致しました。彼の生まれ育った生立ちが綴られていて文中(やはり今日の地図で見ると往時の町の名前はどこにも残っていない。「北多摩群田無町」は「西東京市」となり、「千代田区神田旭町」は「千代田区内神田」に変わっている。いったい誰が考えたものか、どれもまこと便宜的な、少なくとも「ふるさと」にはそぐわぬ名称である。)とある。
また(東京。やっぱりいいかげんな気もするので、「京」の字を異体字の「亰」と表記して読み方も「トウケイ」とした。しかし、漢学者の理屈などに江戸っ子がなじめるはずもなく、たちまち「東京とうきょう」として定着した。 残念ながら江戸下町は現在もなお変わり続けて気が付くと、単なる高層ビル街に変貌しつつあります。また江戸湾入江の埋立は現在も終わりなき天下の普請なのであります。 |
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日の出の時刻が段々遅くなってきましたね?今朝5時30分の東京の空です。Tシャツにタンパンだと非常に肌寒いです。秋の深まりを感じるのでありました。既に某デパートからは正月の御節料理の予約のDMが届いてます。郵便局では年賀葉書の予約のチラシも見かけましたよ・・・。これからは忘年会のシーズンに突入です。(ちと早い?)少々アルコールが弱くなったので体調管理が心配だなぁ・・・。そんな事を考えながらいつまでも空を見つめているのでありました。
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明治21年(1888)4月13日「可否茶舘(かひさかん)」が開業、コーヒー一杯、1銭5厘、牛乳入り2銭、ちなみに当時「ざるそば」が8厘と書かれてましたが???当時の物価不明??? これって高いのか安いのか???とにかく碑まで設立してあるので、ここが発祥の地なのは間違い なさそうですね。上野松坂屋の近くで〜す♪(画面クリックで文字が読めます。) |
明治11年(1878)3月6日は江戸(神田司町)の名主「斎藤月岑(さいとうげっしん)」の 命日、その墓参と「周辺の町歩き」を企画した「市井人・斎藤月岑に学ぶ会」の皆様とご一緒させ て頂きました。江戸時代からの社会情勢や風俗文化、事件等を知る上で、極めて貴重な多くの著作 物や日記を書き残し現在に伝えております。親子三代に渡る功績は神田住民の誇りなのであります。 お世話になりました皆様方の多年の研究、経験を存分に生かされ、一層のご活躍をなされますよう お祈り申し上げ、引続きご厚誼賜りますようお願い申し上げます。 |



