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今回も私が購読している日本政策研究センターの「明日への選択」に掲載されている小論文です(http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=381 )。
安倍政権に最も期待されたことは、外交・安全保障の分野における保守政権としての毅然とした姿勢であったと思うのですが、支持率低下の最大の要因はこれに満足すべき方針を示せていないことにあると思われます。このことは櫻井よしこ氏など政権成立直後から危惧する声があったにもかかわらず、他方では保守勢力の中にさえそのことを評価する向きもあったことは全く驚くべき事です。そこで今回は安倍政権の中韓外交について同誌がどのようあ主張をしているかを検証し、その是非について論評したいと思います。
・「外交の評価というものは簡単には下せないが、今回の安倍首相の中韓への訪問外交は大いに成果があったのではないか、と筆者は考えている。政権発足早々、村山談話、河野談話を相次いで認めるというショッキングな展開があっただけに、保守派には訪問それ自体についてもむしろ困惑の方が多かったといってよいが、結果を見る限りこれまでの政権とは明確な一線を画す「主張する外交」が行われたと筆者には思えるからだ。
むろん、単なる印象でいうのではない。例えば中国との間では日中共同プレス発表という文書が公表されたが、そこでは日本側の主張が毅然として貫かれた事実が読みとれるからだ。村山談話に関わる歴史認識についていえば、同談話に示されているような自虐的な認識は一切この文書には見られない。むしろ日本側は「戦後六〇年余、一貫して平和国家として歩んできたこと、そして引き続き平和国家として歩み続けていくことを強調」し、中国側は「これを積極的に評価した」となっている。
九八年の日中共同宣言で村山談話の「遵守」を公約している以上、首相としては談話を継承するという姿勢を崩すことはできなかった。しかし、事前に報道されていたような、首相が会談においてその種の認識を重ねて表明する、といったこれまでの悪しき慣行は踏襲されることがなかった。換言すれば、「まず歴史認識ありき」のこれまでの外交からの脱却が明確になされたということなのである。」
「自虐的な認識は一切この文書には見られない」ことがなぜ評価すべきことになるのだろうか。そんなことは当然のことで、わざわざ北京まで行って確認することはなく、「主張する外交」と呼べるほどのものではない。逆に言えば、日本外交は今後、中国に対し敵対的な姿勢は取らないと表明しに行っているようなもので、そんなことで東シナ海ガス田問題など日中間の懸案事項について、何かプラスの要素に働くとは思えない。
案の定、これ以後進行したことは、6か国協議における中国ペースの進行と安倍政権の靖国参拝断念であり、安倍政権における日本外交は、むしろ小泉政権時代より譲歩しているとしか思えない。
「九八年の日中共同宣言で村山談話の「遵守」を公約している」からといって、それに未来永劫、縛り続けられなければならないものではない。条約でさえ改正することがあるのだから、単なる共同宣言など毎回毎回のものと考えるべきである。実際、韓国については金大中大統領が「両国が過去の不幸な歴史を克服し、21世紀に向けた未来指向的な関係を発展させていくことで合意いたしました」(平成10年10月8日小渕内閣総理大臣・金大中韓国大統領共同記者会見録)としながらも、それ以後もことある毎に歴史認識問題を議題にしていることは周知のことである。
・「韓国との首脳会談についてもそれはいえる。日中首脳会談とは異なり、盧武鉉大統領との会談では会談冒頭の四十分以上もが、慰安婦だの、歴史教科書だの、国立追悼施設だのについて割かれたという。しかし、首相は一切そうした議論に取り合わず、そうした歴史認識を文書に表そうとした韓国側の要求をも拒否した。かくて韓国とは共同の文書発表すら行われないという異例の展開になったのである。これもまた実に意義深いことだったと筆者は考える。」
相手のつまらない議論に取り合わないのは当然としても、それなら一体、韓国には何のために行ったのだろうか。首相が行く以上、日本としての韓国に対する何らかの要求があってのことだと思うが、単なる参勤交代よろしきの顔見せなら行く必要はなかったろう。安倍総理には「韓国と日本は、自由と民主主義、基本的人権と法の支配という価値を共有しているからだ。」という無邪気な親韓感情しかないことは、第21回(http://blogs.yahoo.co.jp/kaneko_yoshiharu/14038120.html )の「美しい国へ」の論評で指摘したとおりだが、そのような個人的思いをそのまま外交に反映されたのでは、日本外交が立ち行かなくなるのは理の当然だろう。
・「とはいえ、何もかも万全だったというのではない。これまでのマイナスがようやくゼロに戻り、これからいよいよ正常な外交が展開される基盤が整ったというのが実際の所だろう。靖国神社参拝にしても、それをしない限りという条件は外させたものの、もちろんそれは今後の争点として残ったわけであり、首相が今後参拝した場合、そこで起こる反発をどう極小化させていけるかは、あくまでも今後の外交努力にかかるからである。」
このような無意味な訪中・訪韓は、実質的に靖国神社参拝中止の表明であるとしか思えないし、その後の現実はそのとおりになったのだが、この論文では全くそういう予想がないのは全く甘い認識としか言いようがない。
・「しかしながら、そうした問題を承知の上であえていえば、やはり今回の首脳会談は成功だったのではなかろうか。政治というものの要諦が「敵勢力の弱体化」にある限り、今回の外交は明らかに成果を挙げているからである。これによって、中韓との首脳会談ができないことが最大の問題点だと批判してきた野党や、自民党の媚中派からその攻撃材料を奪い取ることができたし、何よりも中韓に対し、わが国の政治への分断工作の道を断つことができたからである。これで首相は外交上のフリーハンドを得たし、来年の参院選に向け、これまでの守勢から攻勢に転ずることができたともいえよう。
それだけではない。国際政治の文脈においても、首相は自らにマイナスとなる要素を減らした。というのも、欧米などのメディアでは首相を危険なタカ派だの、偏狭なナショナリストだのと評する報道が横行していたからだ。中韓との首脳会談の実現はそうした一方的なレッテル張りに、強烈な反証を提示した。木村太郎氏の指摘するところによれば、米議会本会議において目指されていた例の「従軍慰安婦問題に関する決議案」は、この会談実現が契機となって廃案となることが決まったという。安倍首相に対する警戒感が解消されたことがその理由だというのだ。馬鹿げた話とはいえ、事実とすればこれまた成果の一つだろう。
そして何よりも重要なのは、最大の問題となっている北朝鮮の核実験に対し、中韓への力強い働きかけをなし得るポジションが確保できたことである。もしこれがなければ、日本の対応は米国を介しての中韓への働きかけという形に留まる他なかった。戦いはこれからとはいえ、これまた評価されていいポイントだと考えるのだ。」
「野党や、自民党の媚中派」の主張に合わせることがなぜ「敵勢力の弱体化」になるのだろうか。実際に進行したことは、売国的という彼らの世間に対する弱みを安倍政権自らが封印してしまい、意図的に政治とカネや年金などの国内問題に世論と安倍政権を引きずり込むことに勢いづかせてしまったことである。
「従軍慰安婦問題に関する決議案」についても現実は逆に作用したとしか言いようがない。このようなアメリカにとって第三国間の問題を国内政治の政敵追い落としに利用するという米民主党の恥知らずな行為に対し、日本は反発しないという予断を与えてしまったと言えるだろう。
また、北朝鮮問題についてはいわずもがなである。
さて総括すれば、つくづく外交というものは一歩引けば、相手は二、三歩出てくるものであって、日本的な謙譲の精神など全く通用のしない世界だと感じます。安倍政権が小泉時代の闘争型政治から自民党の伝統的な調整型政治に逆戻りしつつあることと、安倍外交の体たらくとは軌を一にしていると言わざるを得ません。外交をやる上で日本人に欠けた要素とはどういうものであって、それを身につけている人物が日本社会では必ずしもよい評価を受けないという現実はよく考えなければならないところです。
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