オニャンコポンな絵葉書たち

現在、パソコン故障で冬眠中。気が向いたら動き出します。

北海道東北の絵葉書と風景

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画像は昭和初期の絵葉書「(陸前。江ノ島名所)島民唯一の飲料水を運ぶ島の娘達」

最初この絵葉書を見たときは、普通にあの「江ノ島」だと思い、

「江ノ島」にしては変わった図柄だなと考えた。

すぐに陸前の文字に気づき、違う「江ノ島」であることが分かったが、

こちらの江ノ島には離島の生活感が溢れている。

どこでも水汲みは若い女性の仕事らしく、頭に載せた水桶が印象的だ。


今回の投稿は3本。次回の更新は9月9日(土)の予定です。

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画像は大正後期頃の絵葉書「岩手県水沢町東宮殿下行啓記念東競馬場」


岩手競馬の公式ホームページには次のように記述されている。

「水沢では古くから駒形神社の祭典で春秋2回の奉納競馬が行われていましたが、

明治34年、胆沢郡産馬組合が中心となって水沢公園南側に一周500mの円形馬場を新設、

本格的な競馬を始めました。明治42年にはこの馬場を一周800mに改修、

前年東宮殿下(大正天皇)が行啓された記念にちなみ「東競馬場」と命名され、

競馬熱は日を追って盛りあがっていきました。

 しかし、明治41年、馬券発売が禁止されたこともあってファンの数は

激減してしまいましたが、優良馬の育成・生産増強のための競馬は続けられました。

 大正12年、再び馬券発売が許され、競馬熱はぐんぐん盛り上がり、

大正13年には水沢・中上野に走路1,600m、観覧施設整備の競馬場を新設、

また大正15年には稗貫郡産馬畜産組合が花巻・下根子に走路1,600mの競馬場を作り、

昭和12年まで続きました。」

絵葉書は2分の1仕切りで「はがき」となっているが、様式と画像から考えると

大正7年から13年の間のものではないかと思う。

「岩手競馬」
http://www.iwatekeiba.or.jp/
「岩手県競馬の歴史」
http://www.iwatekeiba.or.jp/history/history.html

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画像は明治末から大正前期の絵葉書「黄金競馬場(盛岡市上町)」

黄金競馬場は現在の盛岡競馬場の前身だ。

岩手競馬の公式ホームページには次のように記述されている。

「明治36年、県産馬連合会が盛岡上田に一周1,000mの円形馬場を開設、記念競馬が盛大に行われ、

当時の騎兵監・閑院宮載仁親王によって「黄金競馬場」と命名されました。

そしてすぐれた馬を求めて「黄金競馬」には全国から馬事関係者が集まって

東北随一の規模として名をあげますます盛んになったため、

明治45年には走路を1,600mに拡張、施設も整備、その躍進ぶりを全国に示したといわれております。」

絵葉書では「上町」とあるが、ホームページには「上田」となっていて、

誤植なのか、別称なのかは分からない。

絵葉書の形式としては3分の1仕切りで、明治40年から大正7年の間に発行されたものだが、

画像から判断すると、1600メートルに拡張された後の大正初期のものではないかと思う。


「岩手競馬」
http://www.iwatekeiba.or.jp/
「岩手県競馬の歴史」
http://www.iwatekeiba.or.jp/history/history.html

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