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登城日 1回目 2000年頃 曇 2回目 2005年11月27日(日)晴 3回目 2007年10月 6日(土)晴 難易度 ☆☆ 場所 岡山県高梁市山下1 播州赤穂13:38発備中高梁行きに乗る。 途中岡山を通るも、岡山城と鬼ノ城はパスすることとした。 津山城を含め、岡山は中四国地方の真ん中で、起点となることが多い。 スピードはなかなか上がらず、15:52にようやく到着。 駅で尋ねると、備中松山城は17:00までとのこと。 お城まで約4キロ。ギリギリ間に合うだろう。よし、歩いて登るか。 途中セブンイレブンで山道に備え、食糧と飲料を調達。 頼久寺等は後回しにして、とにかくお城を目指す。 高梁高校に到着。 ここは根小屋があったところだ。 高校は石垣の上に建っている。 ここで、不安がよぎる。 そう言えば、福岡城で16:40に行って閉まっていたことがあったっけ。 福岡城ならともかく、備中松山城で閉まっていたら、ダメージ大きすぎる! タクシー来ないかなと期待するも、来る気配無し。 ここまで10分。ここから山道。 あと約20分しかない。3回目なので道程は知っているが、キツイ坂道なので、無理かなと思いつつも、いつの間にか早足。遊歩道に入る。 途中にあった大石内蔵助腰掛岩。ここも内蔵助か、と思いつつも見向きもせず。 やがてふいご峠の駐車場に到着。この時点で16:30。 すでにTシャツ1枚で、びしょ濡れ。 下山する人はいるも、登る人無し。 ますます、不吉な予感を感じる。 大きなカバンを抱え登りにくいが、先を急ぐ。 16:37中の太鼓丸跡到着。 前回来たときよりも、木が伐採されて石垣が良く見えるようになった。 16:40ようやく大手門到着。 ここから階段。すでに足がガクガク。階段の方がツライ。 16:43ようやく到着するも… やはり、閉っていた。(写真は前回のもの) この4キロの山道を1時間以内で完走するのは凄いと思うも、閉っていてはどうしようもない。 呆然と立ち尽くしていると、城内から人の声が。 戸閉まりしていたおじさんでした。 スタンプを依頼すると、しょうがないなぁと言いながら、登って来いの合図。 階段の途中には猿除けの電線が張ってあり、跨ごうとしたら、ギクッ。 もう限界でした。 結局、おじさんがスタンプを持ってきてくれました。 おじさん有難う。 おじさんが去った後は備中松山城が我が物になったようになりました。 が、前回お城の裏手にまわって大松山へ行こうとしたら、猿がたくさん現われて怖かったし、日没間近なので、もったいない気もしますが、下城することにしました。 悔しいので、今回は帰りに下の太鼓丸に寄ってみました。 ふいご峠の駐車城に登り口があります。 すこし登ると石垣構築の曲輪が。 石垣の虎口から入る。 下の太鼓丸碑。こけてました。今日の私のようです。 下の太鼓丸から本丸方面を見る。発掘中のようでした。 曲輪は二段まで確認出来ました。 こんなに凄かったとは。何で今まで来なかったんだろう。 ここだけでももっと違う山の中にあったら、目的地になっていただろう。 最後にスタンプ。 また大松山へ行けなかった。また来る? このあと米子方面へ向かう。 途中で根雨という駅に停まる。「ねう」と読む。 何故かはまった。あれからずっと気になってしょうがない。 また、隣り町は黒坂といい、あの伊勢亀山の関一政が5万石の大名として居城を構え、今でも石垣が残っているとのこと。こんなところに居たのかと吃驚。 また来たくなった。 |
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根小屋、下太鼓丸は車でスルーしましたが、
いろいろあったんですね。
大松山の再攻略、下回り、山中鹿之介墓など個人的な課題をいくつか残してきました、ここ。
2009/10/3(土) 午前 0:24
yzak-juleさん
いろいろありましたが、結局再訪決定です。
ここは。
2009/10/3(土) 午後 10:39