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登城日 1回目 1995年頃
2回目 2008年 3月22日(土)晴
難易度 ☆☆
場所 広島県安芸高田市吉田町吉田字郡山
広島バスセンターから路線バスが30分に一本出ています。
可部駅前からでも乗車出来ます。
広島から約1時間。
結構乗客が乗ってます。
安芸高田市役所前下車。
案内図です。
何で上を向いているんだ?
吉田郡山城遠景。
まずは、安芸高田歴史民俗資料館へ。
ここでスタンプGet。
かつては、内堀と外堀がありました。
麓にあった御里屋敷跡。
御里屋敷跡には毛利元就公がおわします。
御里屋敷跡は現在安芸高田少年自然の家となっていますが、その敷地内には三矢の訓跡があります。
碑の裏面には、
『元亀2年6月14日毛利元就卿この地に逝く。往時より、この所を御里屋敷とよび、その居館の跡と伝え卿死に臨み、諸子を集め弓矢の訓を垂れし跡なりという。よって碑をたて以て後世に遺さんとす。』
と書かれているそうです。
郡山城案内図。
ぐるっと一周出来ます。
清神社脇から登る。
境内の杉は毛利氏時代から生えているとか。
途中で、道を反れ、一旦下ると別の峰へ。
旧本城。
削平地が段々に連なっています。
せっかく下った尾根をまた登ると、尾崎丸。
毛利隆元の居所と考えられている。
尾崎丸の先には満願寺跡がある。
三の丸の下にあたる。
現在でも蓮池が2つ残っている。
足元注意。
満願寺は毛利氏に従い移転し、現在は防府市にあるという。
その先には妙寿寺曲輪群。
足元本当に注意!
思いっきりコケました。
満願寺跡まで戻り、その上へ登って行くと、勢溜の壇跡がある。
本丸から南西へ細長く延びる峰を削平している曲輪。
本丸守護の兵が滞在していたとされる。
いよいよ本丸曲輪群へ。
御蔵屋敷跡。
二の丸の下にあたる。
二の丸への虎口には石垣が残る。
二の丸。
二の丸には石垣が残存。
二の丸から見た本丸。
二の丸の下、御蔵屋敷跡の横には三の丸が。
曲輪は四段に分れ、石垣で隔てられている。
三の丸の先には厩の段跡。
本丸に沿ってぐるっと廻りこむと、釜屋の段があります。
その先には独立峰に羽子の丸跡があります。
本丸の北には姫の丸壇跡。
最後に釣井の壇
下城。
麓には毛利一族の墓があります。
毛利元就火葬場跡。
最後にスタンプ。
行くのが大変。
近くには中世の山城がたくさんあるが、とても立ち寄れず。
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いかにも中世風の山城ですね。また石垣がないというのも、それらしい雰囲気が漂ってますね!
2008/4/3(木) 午前 0:31
いつもコメントありがとうございます。
何とか80城制覇しました。
後20城ですが、仕事が多忙の為、しばらくお休みとなりそうです。
2008/4/3(木) 午前 0:40
立ち寄りました(^^)
2008/4/4(金) 午後 5:28 [ cutyzizi ]
いえいえ、どうもですm(__)m
もう80城も制覇しているとは・・・・僕にはとてもできそうにないです。
吉田郡山城は奈良の大和郡山城とは、同じ郡山でもかなり違いますね。大和郡山城は、今『お城まつり』開催しています。
桜も満開で、明日の日曜日は凄い人出だと思われます。
2008/4/5(土) 午後 10:16
はじめまして!
すばらしいですね〜♪
毛利元就公を尊敬しているので、この記事は大変詳しく
ありがたかったです。
他のお城の記事も順々に読ませていただきます。
村ぽち&傑作ぽち☆
2008/7/29(火) 午後 7:19 [ - ]
恐縮です。
もっと勉強します。
2008/7/29(火) 午後 11:35
二の丸に石垣が・・・見落としてました。恐れいりました!
一人でのお墓は、もう懲り懲りです><
2008/11/17(月) 午後 9:03 [ 馳という名の前世 ]
山の中のお墓はちょっと恐いですね。
100名城の中でも人がたくさんでにぎやかな所と、ほとんどいない所がありましたが、吉田郡山城は5本の指に入るくらい閑散とした城でしたから。
2008/11/17(月) 午後 9:16