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登城日 2007年 1月 6日(土)曇時々小雪
難易度 ☆☆
場所 広島県福山市鞆町後地
福山駅からバスで約30分南へ向かって行くと、鞆の浦があります。
昭和29年までは、バスの通る道を鞆鉄道が走っていました。
鞆の浦は風光明媚な港町として、ちょっとした観光地になっています。
その港町の小山に鞆城がありました。
織田信長に追放された15代将軍足利義昭を、毛利氏が迎えたときに築城したのが始まりといわれています。
鞆の浦の昔に様子。
港に突き出た小山が大可島城跡。
向こうの小山が鞆城跡です。
現在、本丸には鞆の浦歴史民俗資料館が建っています。
入口の石垣。
一部築城当時のもの。
石垣の説明。
石垣には当時の刻印が残る。
ズームアップ。
別の石。
鞆城本丸。
鞆の浦歴史民俗資料館はなかなか内容が充実していました。
鞆城跡の碑。
鞆城本丸の石塁。
本丸から見た大可島城跡。
本丸裏の石垣。
二の丸。
二の丸から見た本丸。
二の丸の下には三の丸があった。
現在家が建ちこんでいるが、一部石垣が残る。
近づいてみる。
ここにも。
三の丸石垣説明板。
城下のささやき橋。
山中鹿之助の首塚。
山中鹿之助は、尼子氏の残党を率いて播磨上月城で奮戦するも、毛利氏に降伏し、備中高梁の阿井の渡しで処刑。
その後、その首は鞆城に送られ、足利義昭により首実検が行われたそうです。
胴塚は高梁市内にある。
対潮楼からみた鞆の浦は、また格別だったことでしょう。
時間が無くて行けなかったのが残念。
(おまけ)
帰りに福山駅で買った「松茸すきやき弁当」
可も無く不可も無く。
ちょっと肉が固かった。
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山中鹿之助の首は足利義昭に送られたのですね。
鞆幕府(だったと)と言われた足利義昭の住まいは「館」と
勝手に思い込んでいました。
2008/7/26(土) 午後 10:39 [ mat**u_p*pa ]
足利義昭は、その後京都の填島城に帰ったそうです。
山中鹿之助の胴塚は路線バスから所在を確認しただけで、行ったことがありません。
今度行ってみます。
2008/7/27(日) 午前 0:31
城跡が詳しく書かれているので、感服しました。
すばらしかったです!
これからも楽しみに読ませていただきます。
鞆の浦の城は山側にあったのですね!
海側かと思ってました。
村&傑作ぽち☆
2008/7/30(水) 午後 8:09 [ - ]
足利義昭が立て籠もった槙島城の碑を探しているのですが
なかなか見つかりません。かなり近い所まで行っているんですが・。
ご存知ですか?
2008/7/31(木) 午後 9:15 [ mat**u_p*pa ]
宇治のユニチカの工場の北側あたりの公園に石碑が残るのみとのことです。
2008/7/31(木) 午後 11:27
自分も行きましたよ♪
思ってた以上に遺構が残ってますよね^^
鞆の浦に鹿之助の首塚がある理由は、そうゆう理由だったんですね
勉強になりました^^
行けば良かったな〜〜
2009/12/12(土) 午前 7:18
おしょうさんが記事書く前にフライングしてTBしてしまったかな。
私は城だけ見て帰ってしまいました。
もったいなかった。
福山市内は混むので、バスは時間がかかり、行きづらい場所です。
2009/12/12(土) 午前 7:25
月の輪殿さん,TB有難うございました!
鞆城は最後に訪れたら時間が少なくなってしまって,歴史民俗資料館はパスしてしまったんです(汗)
二の丸,三の丸も見逃してしまいました(^^;
正面の石垣は凄く立派で,思わぬ近世城郭の佇まいと思ったのですが,一部だけ当時のものだったんですねぇ
TBさせて頂きますね〜
いいね,も行きますね!
2012/7/15(日) 午後 8:22
Shaneさん
TB有難うございます。
2012/7/15(日) 午後 10:04