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登城日 2009年 5月 3日(日)曇 難易度 ☆☆ 場所 山形県上山市中山
慶長5年(1600)徳川家康率いる東軍と石田三成を中心とする西軍が関が原にて天下分け目の戦いを行っている時、東北では東軍の最上義光と西軍の上杉景勝・重臣直江兼継が長谷堂城(山形市)を中心に激戦を繰り広げた。 この戦いを慶長出羽合戦という。 事の発端は、慶長3年(1598)上杉景勝が、越後・佐渡2国等から、蒲生氏郷の旧領である会津・置賜・信夫・伊達・安達などに移封され、加えて庄内の支配も引き続き認められ、計120万石を領することになったことより、最上義光は上杉氏に南と西から挟まれ、逆に上杉景勝にとっても最上氏に新領地と庄内地方を遮断され、ここに両氏の激突は避けられない状況になっていた。 そのような中で、慶長5年(1600)6月に会津攻めのため出陣していた徳川家康が、下野小山において石田三成の挙兵を知って反転西上したことにより、家康の脅威が去った上杉景勝は、最上領へ侵攻を開始した。 その前線基地となったのが中山城である。 場所はJRかみのやま温泉駅の一つ手前の羽前中山駅の西に位置します。 (上山城でもらったパンフレットより) 奥羽本線は新幹線も通るのに無人駅です。 心細〜い! 電車の本数は少ないので注意。 旧中山小学校を目指します。 旧中山小学校が居館跡です。 二段になっていました。 上段の曲輪の右側にあった説明版。 左側にあった中山城の説明版。 中山城説明版の裏に細い道が… ここが本丸への登城口でした。 縄張図が下記HPにありました。 http://www.yamagatamaibun.or.jp/h17_tyousasokuhou/16_nakayamajou/5_3/nakayamajou_5_3.htm かなり大きな城でした。 熊を警戒しながら登城開始! すぐに帯曲輪っぽい細長い柵平地がありました。 三の丸(勝手に付けました)への坂道には石積みが見られました。 三の丸の虎口。 三の丸は土塁で囲まれていました。 二の丸へ登って行きます。 くねくねしています。 二の丸下の曲輪。 帯曲輪か。 二の丸(勝手に付けました)の虎口。 二の丸から見た本丸。 本丸(勝手に付けました)の虎口。 本丸から見た天守台。 天守台から見た本丸。 本丸の周囲を土塁が囲む。 本丸の北側を見下ろすと曲輪がありました。 石垣がありそうでした。 天守台の石垣。 正面から。 側面。 立派! これが見たくて来たのです。 この天守台を造ったのは蒲生氏郷とのこと。 背後から。 反対側のは草に埋もれていました。 天守台の上。 見晴らしは良くないですし、下の方でガサゴソと音でもしたら大変だと、逆に怖くなった。 急いで下城。 居館跡から見た前森山。 手前には武家屋敷跡があったそうですが、バイパス建設のため破壊されてしまいました。 道路族ー!(怒) 石垣の残骸だけが無残に放置されている。 前森山説明板。 草茫々で良く解りませんでした。 前森山から見た中山城。 この山だけ植林された杉で青々しているのですぐ解ります。 城下の米沢街道に架かる中山橋。 こちらも石垣が立派。 前森山の麓にある西福寺。 弘安3年(1280)開山。県内で数少ない浄土宗の寺。 窪坂。 かつての米沢街道。現在は駅への近道となっている。 御番所跡。 中山城廃城後はここで米沢街道を監視していた。 石垣が残ると書いてあったが、見つけることが出来なかった。 気になるのが数字。 説明版には数字が振ってあるが、何番まであるんだろう? パンフレットがあったのかなぁ? 流石の「天地人」ブームでも、ここへ来る人はいないようである。 パンフレットに載せたりしているが大丈夫かなぁ? 熊いないんでしょうね。 正直なところとても怖かったです。 |
城
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天地人で 関ヶ原辺りになると、訪問する人も増えるかもしれない
ですね。
貴重な記事ありがとうございました。
2009/5/6(水) 午後 3:07 [ mat**u_p*pa ]
マッツゥさん
GWには米沢に上杉景勝役の北村一輝と菊姫役の比嘉愛未が来ていたこともあってか、すごい人でしたよ。
2009/5/6(水) 午後 6:47
すごい記事でした!
月の輪殿さんの最高峰に位置すると思います♪
ベートーベンの晩年の弦楽四重奏曲のような。。。
徹底的に極めつくした人の作品ですね。
城の鉄人でないとたどり着けませんね。。。
こういう記事は自分には(専門的すぎて)無理なので、
逆の視点から書こうかと思います。。。
トリプルぽち☆
2009/5/6(水) 午後 7:02 [ - ]
やまたろうさん
ベートーベンとは買いかぶりすぎです。
物好きなだけです。
よく熊に遭遇しないで帰って来られたなぁ〜とほっとしています。
こんなことでニュースになったらカッコ悪いですよね。
2009/5/6(水) 午後 7:10
この中山の武家屋敷の出身者です。
ですが、詳しいことはあまり知りません。
子供の頃に聞いた話では、御天守山に山形県では最大級の山城があったそうです。その目の前にある丘には、それよりもかなり古い城壁のあとがあるそうです。
武家屋敷は、地元では家中といって、冠婚葬祭は、家中で協力し合います。家中の蔵があり、冠婚葬祭で必要なものを共用しています。
家中の案内版が、道路に建てられていますので、もし行かれる方は見てください。
旧街道のところには、足軽屋敷もあったようです。(ここにも案内板があります。)関所もあったらしく、昔は宿屋もたくさんあったようです。御年寄は屋号で、呼び合うため子供だった私には、どの家のことをいっているのか、わかりませんでした。後は、上杉と最上の国境に掛けれ石という、巨大な石がありますが、鉄道の建設時に1/3にしてしまったらしいです。
30年前の家中は、いたるところに石垣と庭には池があり鯉をかい、家の周りは「ウコギ」で囲っていましたが、今はほとんどなくなってしまいました。
ちなみに、観光地ではありません。今は単なるさびれた田舎町です。
2010/1/29(金) 午後 2:20 [ cat ]
catさん
貴重な情報ありがとうございました!
本当は地元の方のお話など聞きたかったのですが、聞けず仕舞いでしたので。
また行きたいです。
道路工事で付近が壊されてしまうのではないかが気掛かりです。
2010/1/29(金) 午後 10:27