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登城日 2005年 8月14日(日)晴 難易度 ☆☆ 場所 愛知県豊田市大内町城下 大給城へは、豊田市駅から中垣内行きか、東岡崎駅から足助行きの名鉄バスに乗り「松平支所前」で降りて歩きます。 詳しい地図で見る 大給城址は、西方眼下に九久平の集落を見下ろす標高204mの急峻な山上に築かれている。 九久平は足助街道と新城街道との交差点であると同時に、巴川の水運と陸上輸送との中継点でもあるという交通の要衝であった。 城の東西には、尾根つだいに攻めてくる敵の侵入を防ぐために、堀切A・Bを設けている。 東側からの侵入路を通ると、門や櫓などで防御された虎口(入口)Cを抜け、曲輪2を経て主郭1へと至る。 城内のいたる所には花崗岩の巨石が見られ、主要な部分は石垣で固められている。 Fは物見岩と呼ばれ、ここからは尾張の国をはじめ遠く鈴鹿の山々を望むことができる。 岩上には一辺数センチメートルの穴が並んでいるが、いつ何のために開けられたかは不明である。 D・Eは石垣を駆使して谷に設けられた大規模な取水施設である。 主郭1から南に下ったところにある3は城主の館跡と考えられる。 本城は、もと土豪長坂新左衛門の城であったが、岩津(岡崎市)に進出した松平宗家3代の信光が攻略し、三男親忠(松平宗家4代)に与えた。 親忠は細川城(岡崎市)とともにこれを次男乗元に譲り、乗元が大給松平氏の初代となった。 大給松平2代乗正は永正2年(1510)までに城の大改修を行った。 以後、乗勝、親乗、真乗、と続き、天正18年(1590)6代家乗のとき徳川家康の関東への国替えに伴って上野国(現群馬県)に移り、大給城は廃城となった。 (現地説明板より) 松平乗元の墓。 説明板。 堀切と城址碑。 櫓台。 Cの虎口。 曲輪2は土塁が廻る。 北へ下ると水の手。 ブレてしまった。 見下ろす。 Dの石垣。 ダムのようです。 正面から見上げる。 こんな貯水施設を持った城は他には無いのでは。 水の手曲輪。 水の手曲輪から見上げる。 水の手曲輪の石垣。 戻って今度は主郭1へ。 ここから見える石垣が見どころ。 近世城郭のようです。 下から。 主郭は土塁と石垣で囲まれています。 主郭は2段になっています。 虎口。 上の主郭は広い曲輪です。 主郭を仕切る土塁と石垣。 主郭にある休憩所で一休み。 主郭の西には巨石を利用した物見岩があります。 物見岩から見渡す。 ここから水の手方面へも行けます。 巨石がごろごろしていました。 巨石の隙間を石垣で埋めています。 3の居館跡。 せっかくの石垣も草に覆われて良く見えない。 ここへ来るのは冬がいいのでは。 足助へ行く途中にあるので、紅葉の季節がベストかも。 |
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おはようございます♪ ヾ(〃^▽^)ノ「おはよう♪」
松平氏のゆかりの城なのですね。。。
ところどころに立派な石垣が残っていてびっくりしました。
物見岩からの眺めもよかったのにもおどろきです。。。
水の機能はすぐれたアイデアだと思います♪
なかなかの城だと思いました。
登城お疲れ様でした。 お疲れぇ(´ρ`)ノ凹"フリフリ
トリプルぽち★
2009/6/10(水) 午前 6:38 [ - ]
石垣の見え具合とかいいですねー。
うっそうとした中にあり写真も撮りづらそうです。
お疲れ様です。
2009/6/10(水) 午後 10:55 [ mat**u_p*pa ]
やまたろうさん
こんばんわ
龍岡城の大給氏の故郷です。
バス停からちょっと離れているのが難でした。
2009/6/10(水) 午後 11:42
マッツゥさん
季節を選べば写真はバッチリ撮れると思います。
夏は本当に駄目ですね。
2009/6/10(水) 午後 11:43
月の輪殿さん、TB有難うございました!
物見岩からの眺めは素晴らしかったですよね! そして水の手曲輪の立派な造りも素晴らしかったです!
九久平から歩いたらかなり大変だったのではないでしょうか?
WP行きますね!
2009/12/7(月) 午後 9:38
Shaneさん
TB有難うございます。
もう一回良く見てみたい城です。
今度は季節を変えて。
しかし、行くのが大変です。
香嵐渓へ行く途中にあるんだなぁ〜と最近知りました。
2009/12/8(火) 午後 7:49