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登城日 2005年 8月14日(日)晴 難易度 ☆ 場所 愛知県豊田市小坂本町 挙母には、鎌倉時代の1309年に中條景長によって金谷城が築かれたが、戦国時代に今川氏、後に織田氏に攻略され、江戸時代初期である1604年に三宅康貞が1万石で入封した。 康貞は、城の破損が著しいことから金谷城から1キロメートルほど北に陣屋を構え、桜の木を植えたことから俗に桜城といった。 寛延2年(1749)、内藤氏が城の改修を計画し、着手したが矢作川の氾濫により何度も被害を受けたため桜城から、高さ65メートルほどの丘である童子山に移し「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「遠江国」「伊勢国」「近江国」の7つの国が見える高台にあることから七州城といった。 明治以降は、学校敷地として利用され、現在、一部が愛知県立豊田東高等学校や豊田市美術館の敷地として利用され、城跡公園として整備されている。 遺構としては豊田市美術館敷地内に櫓台の石垣が残り、隅櫓が復興されている。 また、挙母祭りの山車蔵に、城の建物の解体部材を転用したものがある。 (wikipediaより)挙母城へは、新豊田駅から南へ線路沿いに歩きます。 詳しい地図で見る 説明板。 現在は隅櫓の石垣が現存しています。 石垣は新しく見えます。 隅櫓が復興されています。 それだけです。 絵図からすると、このあたりに堀や塀があったのでしょうか。 今では、トヨタ自動車の本拠地として有名となり、ここがかつて挙母(ころも)と呼ばれていた城下町であった痕跡はほとんど無くなっている。 櫓台石垣だけが何故か残っているのが不思議です。 |
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一段下がってるところが、確かに堀っぽいですね
先日、伊勢でなく、初めこの辺りへ行く予定でした。
2009/6/13(土) 午前 1:30
復興隅櫓はまち中に溶け込んでしまっている…?
それもほのぼのでいいかも(*^ー゜)b
2009/6/13(土) 午前 10:49
おしょうさん
堀っぽく見えますでしょ?
でも本当かどうかわかりません。
それ程埋没していました。
2009/6/13(土) 午前 10:59
るなさん
おはようございます。
隣りが美術館なので、これも芸術作品の一つと思われているかもしれません。
2009/6/13(土) 午前 11:05
挙母という地名ももう駅の名前に残る程度ですよね(^^ゞ
僕が行った時に丁度石垣の工事をしていました。
2009/6/13(土) 午後 9:28
Shaneさん
TB有難うございます。
挙母を『ころも』と呼ぶなんて変わってますね。
ころもという地名も古来からの由緒ある地名のようで勿体ないですね。
しかし、天下のトヨタ自動車に対し文句は言えないですね。
駅名に残っているだけでも良しとしましょう。
2009/6/13(土) 午後 10:27
隅櫓だけっていうのも面白いですね。
せめてもの思いで残しているんですかね??
2009/6/13(土) 午後 11:37 [ mat**u_p*pa ]
隅櫓だけというのが本当に不思議です。
ここ、豊田市にはもう一つあるので。
(つづく)
2009/6/14(日) 午前 1:05
こんばんは♪
豊田の過去は城下町だったのですね♪
発見です。。。(v^ー^v)ブイ
アンバランスな感じがまた魅力を感じます!
ダブルぽち★
2009/6/15(月) 午後 6:27 [ - ]
やまたろうさん
いつもありがとうございます。
町の名前まで変えてしまったトヨタ自動車恐るべしです。
2009/6/15(月) 午後 8:58