三日月の館

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宇土城(肥後国)

登城日 2005年 8月 5日(金)快晴
難易度 ☆
場所  熊本県宇土市古城町

宇土城もJR宇土駅からと離れています。
バスかタクシーに乗るしかないです。
(地図上の宇土城跡は宇土古城跡のことなので注意!)

詳しい地図で見る
【宇土城の歴史】
≪中世≫
宇土城は、南北朝時代に宇土氏によって西岡台に築かれ、その周囲は堀で囲まれていた。
近年では千畳敷と呼ばれる曲輪跡から掘立柱建築が多く立てられていた跡が発掘されている。
≪近世≫
豊臣秀吉の九州平定の時には、名和氏が居城していたが小西行長が代わって入城し名和氏は筑前国に国替えとなった。 
天正16年(1588)小西行長は、肥後国宇土郡、益城郡、八代郡あわせて24万石を所領し翌年、中世期宇土城から東にあった高さ13メートル程の丘(宇土市古城町)に城地を移して新たに築いた。
しかし、関ヶ原の戦いで西軍(石田)に加担したことにより処刑されたため、代わって加藤清正が入城した。
清正は、宇土城を隠居城とするため、おもに主曲輪の改修を行ったが、慶長16年(1611)に死去したため放置され元和元年(1615)に発布された一国一城令によって廃城の対象となり破却された。
寛永14年(1637年)には島原の乱に伴う原城のような立て篭もりを防ぐために徳川幕府は破城を行い石垣や堀などを破却した。
正保3年(1646年)に、細川行孝が宇土郡3万石を所領し宇土城跡に宇土陣屋を設けて、宇土細川11代が治め明治に至っている。
(wikipediaより抜粋)
説明板。
イメージ 1
堀跡。
イメージ 2
徹底的に破壊されたはずですが、所々に石垣が残存しています。
イメージ 3
この石垣は整備されたものでしょうか。
イメージ 4
残存石垣。
イメージ 5
説明板。
イメージ 6
引いて見る。
イメージ 7
進んでみる。
イメージ 8
その奥。
断念。
イメージ 9
本丸へ登る。
イメージ 10
高石垣だったのでしょうか。
イメージ 11
奥へ進む。
イメージ 12
小西行長
イメージ 13

ここには天守閣が建っていたのでしょう。
その後熊本城に移築され、宇土櫓になったという説があります。
イメージ 14
宇土城は街のはずれにあります。
太陽を遮るものがありません。
日焼け防止が必要ですね。
本当にこの日は暑かった〜

閉じる コメント(2)

宇土城と旧宇土城を間違え、旧の方に行ってしまいました。^^;

「あれ、小西行長の銅像ないぞ」「天守建っていたのに石垣じゃない」
など疑問に思いながら・・・。
写真見てあらためて納得です。^^

2009/8/23(日) 午前 1:03 [ mat**u_p*pa ]

アバター

マッツゥさん
今回記事を書くとき、地図見ても間違えました。
宇土城と言ったら、小西行長を連想しますよね。

2009/8/23(日) 午前 8:52 月の輪殿


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月の輪殿
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