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登城日 2005年 8月21日(木)晴 難易度 ☆ 場所 兵庫県宍粟市山崎町鹿沢 ≪山崎城及び山崎町屋≫ 山崎城(鹿沢城とも)は、姫路城主池田輝政の男池田輝澄が、元和元年(1615)に、父の遺領のうち宍粟郡3万8千石の分封をうけ、山崎に城郭を構えたことに始まる、とされる。 寛永8年(1631)に、佐用郡2万5千石の加増を受け、都合6万3千石を領したことにより、播磨国内においては姫路・明石の両藩に次ぐ石高を有することとなりました。 現在の山崎のジグザグに折れ曲がった町割りは、このときの名残です。 後の池田家が無嗣断絶したとき、後任の領主がすぐに決定しなかったため、本藩の岡山藩主池田綱政の指示もあり、本多忠英が入封したときは家中の屋敷はあらかた売り払われていたそうです。 近年まで池田氏の家紋である揚羽蝶の瓦を葺いた町家があちこちにありましたが、このときの名残でしょうか。 ≪山崎陣屋「紙屋門」と土塀≫ 建造の時期は不明ですが、山崎陣屋の現存する唯一の建物です。紙屋(かみや)門は、山崎陣屋の本丸の正面に当たる門です。 この門をくぐると、山崎藩庁の玄関に至ります。 門としての形式は、一間一戸四脚高麗(こうらい)門といいます。 扉の上半部は透かしとなっています。 この門の正面は坂になっていますから、外からは中は窺えませんが、中からは見通すことができる構造になっています。 こうした形式の高麗門は姫路城にも存在しています。 紙屋門の名前の由来は、建造費を町方の紙屋が寄付したことによるのだそうです。 なお、左右の控え塀の上半部も透かし窓になっています。 (しそうツーリズムガイドより)山崎城へ行くには、山崎小学校を目指すとよい。 詳しい地図で見る 大手前。 西には土橋御門跡。 小学校の校門には表御門跡の碑。 内堀跡。 案内板。 それらしく石垣が復元されている。 紙屋門。 本丸跡には歴史民俗資料館がある。 小学校の南にも虎口っぽく石垣が造られていたとか。 長水山城登城で体力を消耗し、バスの時間もあったので、帰ってしまった。 笹の丸城も行くことが出来ませんでした。 山崎へ行くには、姫路駅から神姫バスもいいですが、大阪方面から高速バスを使った方が便利だったかも知れません。 |
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小学校の南にある虎口は、もの凄く模擬って感じでしたよ〜
もちろん写真撮りましたけどね(笑)
2009/8/26(水) 午前 6:56
さすがおしょうさん
行かれましたか。
探したんですけど解りませんでした。
疲れていたので、途中で気力が無くなりました。
南にあったとは…
2009/8/26(水) 午前 8:56
山崎城違いでした〜(;^ω^A
秀吉の天王山の山崎城かと…
こちらの山崎城は初めて知りました。
2009/8/28(金) 午前 0:16
るなさん
おはようございます
山崎の天王山はハイキングコースになっていて良かったですよ
竹林になっているので、葉が枯れた冬がおすすめです
2009/8/28(金) 午前 6:32
ここにお城あったんですね。
子供が小さい頃ここを通ってスキー場に行ってました。
ジャスコはよく寄ったりしてました。
しまったな。^^;
2009/8/29(土) 午後 10:10 [ mat**u_p*pa ]
マッツゥさん
今度行ってみてください。
紙屋門は現存ですから。
2009/8/29(土) 午後 11:04