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登城日 第一回 2001年10月18日(木)晴 第二回 2006年 9月 3日(日)晴 難易度 ☆☆ 場所 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659 【郡上八幡城の歴史】 戦国時代末期の永禄2年(1559)、遠藤盛数が八幡山の上に砦を築いたことが郡上八幡城の起源である。 遠藤盛数が郡上八幡城を築くまでは、郡上一円は東(とう)氏によって支配されていた。 東氏は、郡上八幡の町を挟んで反対側にある東殿山(とうどやま)に東殿山城を構えていたが、永禄2年(1559)、遠藤盛数によって滅ぼされた。 遠藤氏は東殿山城を奪い、郡上一円を支配したものの、この城を好まず、東殿山城を攻撃したときに陣営を張った八幡山に城を築いた。 その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝の傘下に属していたため追放される。 慶隆追放後稲葉貞通が一時城主となり、この際に天守や二の丸などが建造されている。 その後関ヶ原の戦いの功により再び慶隆が城主となり、以来廃藩置県まで郡上藩の藩庁となる。 5代藩主常久まで遠藤氏が城主となり、以下井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。 青山幸宜が藩主の際に明治維新を迎え、廃藩置県により廃城となる。 廃城の翌年、石垣のみを残し取り壊わされる。 現在の天守は、大垣城(当時)を参考に昭和8年(1933)に造られた。 模擬天守としては全国的にも珍しい木造。 石垣が岐阜県史跡に、天守閣が郡上市有形文化財に指定されている。 内部は歴史資料館などとして利用されている。 山城であり、市街地を流れる吉田川のほとりに聳える。 城自体は小規模だが、城下から眺める城の風景や、城から見下ろす城下町のたたずまいは大変美しい。 城の入り口までは徒歩でも自動車でも行くことができ、山麓には山内一豊と妻千代の像がある。 日本100名城の選定対象となるものの、検討の結果、選定されなかった。 (wikipediaより)郡上八幡には長良川鉄道が走っているが、なかなか時刻が合わない。 名古屋からバスで行った方が便利で安くて早い。 詳しい地図で見る 八幡城の図。 麓に居館があった。 西から。 南から見た八幡城。 大手から登る。 郡上八幡城の麓には下御殿があった。 最後の城主青山氏の江戸下屋敷は東京・青山にあった。 名の由来である。 二の郭跡(新本丸跡)付近に建つ岸劔神社。 説明板。 山内一豊と千代の像。 千代は初代城主遠藤盛数の末娘という説がある。 土霊水。 説明板。 石垣が見えてきた。 苔むした石垣がいいですね。 冬に来たら石垣がもっと良く見えたかも。 力石。 遠藤慶隆が八幡城復帰した寛文年間(1660年頃)郡上八幡城の大改修が行われた。 その時通称赤髭作兵衛と呼ばれた力自慢の人夫が城下吉田川からひとりで背負い上げたというふたつの石。(1m×75cm、推定約350kg) 普請奉行がその力量を深くほめたたえたとたんに、彼はその場で倒れて息絶えたという。 普請奉行はこれを哀れんでこの石の使用を禁じたため、以降天守台の一郭に放置されていたが、昭和8年に模擬城の建設にあたり、この石を現在地(八幡城内門前下)に安置し顕彰したのだそうです。 振り返る。 城門。 天守閣。 隅櫓。 別角度。 天守閣に登る。 郡上八幡の街並みを見下ろす。 東殿山城を見る。 城門と隅櫓を見下ろす。 搦手方面を見る。 行ってみる。 階段が折れ曲がる。 振り返る。 腰曲輪を見る。 搦手。 説明板。 麓へ下りる。 総門坂。 説明板。 説明板。 また行きたいと思いました。 電車の利便性が高まればなぁ。 |
城
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やった、1コメゲット!
大垣城を真似たら、その大垣城天守が戦災で失われてしまい
今や木造で貴重な模擬天守だと…山麓から見上げるとカッコイイ
のですが、近くで見ると?ですか?
城下町よいかったのですね。風情がたまらないと聞きますからね。
2009/9/20(日) 午前 8:22
るなさん
おはようございます
100名城候補になった割には、何故か興味が持てませんでした。
歴史を良く知らないからだと思います。
城下町は良かったです。
家並みも良かったですし、町を流れるせせらぎも良かったです。
橋から川へ飛び降りる人もいます。
おすすめなんですが、交通が不便なのが難点です。
2009/9/20(日) 午前 8:58