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登城日 2004年 9月20日(月)曇時々雨 難易度 ☆ 場所 山形県新庄市堀端町 山形新幹線の終着駅、新庄は戸沢氏6万石の城下町でした。 【新庄城の歴史】 新庄城は、新庄藩6万石(のちに6万8200石)の本拠として寛永2年(1625)戸沢政盛により現在の山形県新庄市堀端町に築城された平城。 本丸の南側に出丸のように小さな二の丸が並列状に配置され、その外側を三の丸が囲む形である。 本丸及び二の丸、三の丸の堀の水は城の北を流れる差指野川(さすのかわ)から引かれた。 三の丸堀(二の堀)の反対側に当たる現在の堀端町は、家老などが住む侍屋敷があった。 最上氏改易後に入封した戸沢政盛は当初真室城(鮭延城)に入城したが、手狭であることと、山城のための不便さから幕府に願い出て、当地に築城した。 なお、縄張は同一時期に山形城に入封した鳥居忠政によるものである。 寛永13年(1636)に、火災によって天守が焼失したが再建されなかった。 慶応4年(1868)の戊辰戦争では戦闘の舞台となった。 当初、新庄藩は奥羽越列藩同盟に参加していたが、久保田藩(秋田藩)が新政府側へ変節したのに同調し、奥羽越列同盟から離脱した。 これに激怒した庄内藩は新庄藩へと攻め入り、庄内藩兵と新庄藩兵の間で攻城戦が行われたが新庄城は陥落して、その大部分が焼失した。 当時の藩主、戸沢正実は久保田藩へ落ち延びた。 新庄城は同年のうちに廃城となった。 現在は、新庄城の建物のほとんどが失われ、本丸址に戸澤神社、護国神社、稲荷神社、天満神社(城を創建した戸沢氏の氏神、藩政時代から現存している唯一の建造物)がある。 なお、新庄ふるさと歴史センター近くでは三の丸堀跡も確認できる。 本丸跡、二の丸跡を含めた城跡は最上公園として市民に開放されている。 最上公園は、春の「かど(ニシン)焼き大会」の会場となり、また、夏は天満神社の縁の祭りの新庄祭が開催される。 (wikipediaより)駅からまっすぐ歩いていきます。 詳しい地図で見る 大手御門跡。 二の丸外堀跡。 本丸には水堀が半分残っています。 北から北東隅を見る。 北東隅には小納戸櫓が建っていた。 本丸堀東側。 北を見る。 今度は南を見る。 西側はこんな感じ。 水堀から水は無くなっている。 本丸には土塁が残っていました。 東側へ戻る。 本丸への虎口である表御門跡を見る。 表御門は桝形になっていて、櫓門形式でした。 今は櫓台の石垣のみが残っています。 本丸を見る。 かつては天守閣が建っていた。 今は天守台も無くなっていて、神社の敷地となっています。 本丸から見た表御門跡。 北東隅にあった小納戸櫓跡。 南東隅にあった武具櫓跡。 他にも遺構があったようですが、良く見ずに帰って来たのは残念でした。 表御門の石垣が見所でした。 |
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この新庄城、思いのほか、お堀と土塁が残っていた印象があります。幕末には庄内藩との戦いがあったんですね。。。
TBさせて頂きますね!
2009/9/24(木) 午後 10:07
Shaneさん
TB有難うございます。
新庄城本丸には神社が三つも建っていたのに一つも撮影せずに帰って来てしまいました。
この頃は記事にする事など当然考えも無く、駆け足で見て帰って来てしまいました。
Shaneさんの記事で良く解りました。
2009/9/24(木) 午後 11:06
ここ7月に行ってきたんですけど、土塁などしっかり残ってますよね〜
で、名物『とりもつら〜めん』食べました?
2009/9/26(土) 午前 7:08
とりもつらーめん
知らなかったです。
おいしそうですね。
TB有難うございます。
2009/9/26(土) 午前 9:47