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登城日 第一回 2000年頃 第二回 2005年10月15日(土)雨 難易度 ☆ 場所 京都府亀岡市荒塚町内丸1 亀山城は、JR山陰本線亀岡駅の南側にあります。 詳しい地図で見る 【亀山城の歴史】
≪戦国時代≫ 織田信長の命を受けて丹波攻略に従事中であった明智光秀が、口丹波にある亀岡盆地の中心であった亀山に天正6年(1578)から築城した。 丹波平定後はそのまま丹波経営の拠点となったが、光秀は天正10年(1582)に本能寺の変を起こし、まもなく羽柴秀吉に敗れて、逃走中に討死。 その後は天下を統一した秀吉の重要拠点として一門の羽柴秀勝(信長の子)・豊臣秀勝(秀吉の甥)・豊臣秀俊(小早川秀秋)などが入った。 ≪江戸時代≫ 秀吉の死後に天下を手中にした徳川家康もこの城を重要視し、慶長14年(1609)に譜代大名である岡部長盛(在任1609年 - 1621年)を入封させ、丹波亀山藩主に任じた。 さらに「天下普請」により幕府が西国大名に命じ近世城郭として亀山城を大修築した。 藤堂高虎が縄張りを勤め、慶長15年(1610)夏ごろに完成し、本丸には5重の層塔型天守が上がった。 寛延元年(1748)以降は、形原松平氏が居城し、明治2年(1869)に亀岡藩へ改称。 同4年(1861)に亀山県が置県され、廃藩となった。 ≪明治維新以降≫ 明治6年(1873) 陸軍省が城の存廃を決定し建物の一部を払い下げる。 明治10年(1877) 政府が廃城処分を決定する。 明治22年(1889) 市町村に払い下げされ転売される。 大正8年(1919) 管理ができず放置され荒廃していたが、宗教法人大本が購入して整備。 天守台・石垣・堀・土塁などは大本によって改変されている。 昭和10年(1935) 大本事件の際に当時の日本政府によってほとんどが破却されるが、その後は教団によっ て修復されている。 現在、新御殿門(長屋門)が亀岡市立千代川小学校に移築現存している。 (wikipediaより) ボケてしまったが、鯱鉾。
城址碑。 北側には水堀が残る。 反対側。 縄張図。 城内には石垣が残る。 改変され、当時のものではないようだ。 模擬城門。 本丸へ。 小安石。 大安石。 宗教施設であるため進めない。 上手に積み直していますね。 天守台も立ち入り禁止。 本丸の石垣を堪能して帰るしかない。 亀山城の天守が残っていたらなぁ〜 今治城の再建天守を思い浮かべるしかないです。 |
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立派な堀が残っているのですね。
この亀山城と勘違いされて天守壊された伊勢亀山城の話が
切ないです(;^ω^A
2009/10/24(土) 午後 7:33
るなさん
こんばんは
亀山城はこんがらがりますね。
記事を書いている時も亀岡城と書いて、途中で訂正しました。
2009/10/24(土) 午後 10:21
私が行った時はちょうどお祭りの準備中で、見学の申し出が
出来る雰囲気でありませんでした。
参考になりました。
2009/10/25(日) 午後 10:22 [ mat**u_p*pa ]
私は見学の申し出をすることは全く考えずに帰って来てしまいました。
確か馳さんが天守台に登っていたはずです。
2009/10/25(日) 午後 10:46