さて、競馬では、今週末に第54回有馬記念が行われます。 今日、枠順が確定しました。 といっても、今年はアンカツこと、安藤勝己騎手が出場しないのが何となく寂しいです。 3歳牝馬で優勝候補であるブエナビスタで出場予定でしたが、直前に鞍上交代となってしまいました。 結果がすべての厳しい世界。 ここ3戦で結果を出せなかったため、止むを得ないことではありますが、出れれば昨年のダイワスカーレットでの優勝に続き、連覇の可能性があっただけに、とても残念です。 (発売後即完売してしまったこのビールは、記念で欲しかったなぁ。) ところで、有馬記念は千葉の中山競馬場で行われます。
有馬といえば、有馬温泉を連想しますので、阪神競馬場で行われるのでは、と最初思いました。 実は、有馬記念の「有馬」とは、人の名前に由来するのです。 しかし、有馬温泉も全く繋がりが無いわけではありません。 【有馬記念の歴史】 昭和31年(1956)有馬記念の前身である『中山グランプリ』が創設された。 当時、暮れの中山競馬は中山大障害が最大の呼び物であったが、東京競馬場の日本ダービーと比較すると華やかさに欠けていたことから、当時の理事長でもあった有馬頼寧が、中山競馬場の新スタンド竣工を機に、暮れの中山競馬にも日本ダービーに匹敵する大レースをと提案し、当時としては他に例を見ないファン投票による出走馬の選定方法を用い、芝・内回りコースの2600mで行われた。 ところが、第1回の成功の興奮が冷めやらぬ翌1昭和32年(1957)1月9日、創設者である有馬理事長が急逝したため、同氏の功績を称え、競馬の発展に尽力した同氏の名前をとり、『有馬記念』と改称された。 (JRAのHPより抜粋)さて、この創設者である有馬頼寧氏は、久留米藩第11代藩主有馬頼咸(ありまよりしげ)の孫であり、伯爵であった。 もし江戸時代が続いていたら、久留米藩主になっていたであろう。 【有馬頼寧氏の経歴】 旧筑後国久留米藩主有馬家当主で伯爵有馬頼万の長男として東京に生まれる。 学習院中等科(現 学習院高等科)、旧制学習院高等科を経て東京帝国大学農科(現農学部)を卒業後、農商務省に入省して農政に携わり、東京帝国大学農科講師、助教授となり母校で教鞭をとった。 夜間学校の開校、女子教育、農民の救済や部落解放運動、震災義捐などの社会活動に広く活躍し、農山漁村文化協会の初代会長や日本農民組合の創立にも関わった。 1924年に立憲政友会から衆議院に出馬して当選。 任期中に有馬家を継いで伯爵に叙爵、華族の互選による貴族院議員に挙げられ、1932年に斎藤内閣で農林政務次官、1937年に第1次近衛内閣の農林大臣となった。 日中戦争が拡大する中で近衛の側近として大政翼賛会の設立に関わり、1940年に翼賛会初代事務局長に就任するが、翌年の翼賛会の改組により辞任、これを機に公職を退いた。 また、1936年より当時の職業野球の東京セネタース → 大洋軍の個人経営に乗り出していた。 第二次世界大戦(太平洋戦争)の終戦後、GHQよりA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに拘置されるが無罪と認められ釈放、その後は引退生活を送った。 1955年に農林省に招請されて安田伊左衛門の後任として日本中央競馬会第2代理事長に就任、有馬特例法の公布、中央競馬運営方策要綱案の着手、中山競馬場をはじめとする競馬施設改築、競馬国際協定加入、競馬実況中継放送の強化など、競馬の発展や大衆化に尽力した。 1957年に急性肺炎のため逝去した。 「有馬頼寧関係文書」が国立国会図書館にある。 (wikipediaより)有馬記念を創設した有馬頼寧氏は、摂津有馬氏である久留米藩主の家系。 この摂津有馬氏は、有馬郡を出自とする赤松氏の傍系である。 ということは、有馬温泉はこの有馬郡にある温泉なので関係あると言えるし、赤松記念とも言えるのでは… 余談でした。 |
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有馬記念・・・いろいろ思い出がありますが、
最近ではディープインパクトのラストランかなぁ・・。
2009/12/25(金) 午後 10:15 [ mat**u_p*pa ]
ディープがハーツクライにまさかの敗戦をしたのもこの有馬記念でした。
あの頃は盛り上がったものです。
2009/12/25(金) 午後 11:23