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場所 京都市中京区柳馬場通三条下る槌屋町84 こんなところも史跡になるの? 実家跡は、麺どころ晃庵三条店となっています。 隠れ家的な居酒屋のようです。 入り口には石碑が建っています。 最近建てられたようです。 龍馬ブームを見込んででしょうか? 『天地人』のときも、新しく建てられた石碑を聚楽第の記事で紹介しました。 大河ドラマが始まる度に勝手に建てられるようでは疲れてしまう。 誰か監視してくれ〰 現地解説板です。 【解説板の内容】 この付近、柳馬場三条下ルには、のち坂本龍馬の妻となるお龍(鞆)の実家がありました。 お龍は、青蓮院宮に仕える内・外科医、楢崎将作の長女です。 天保12年(1841)に富小路六角付近で誕生し、しばらくしてこの地に移り住んだと思われます。 お龍の自宅が柳馬場三条下ルにあったことは、当時の医師名鑑といえる『洛医人名録』(文久元年(1861)刊行)や、姉乙女宛の龍馬の手紙(慶応2年(1866)12月4日付)に明記されており、確実です。 お龍には、父母のほか、弟妹が4人もおりましたが、家事を任されることもなく、華道、香道、茶道などのおけいこごとに専念できたようです。 父在世中は、いわば良家のお嬢さまとして、裕福に暮らしていたといえます。 安政5年(1858)〜6年の安政の大獄で、父将作の仕えた青蓮院宮尊融法親王(のちの中川宮朝彦親王)が厳しい処罰をうけます。 残念ながら、将作がこの時期、どのような政治思想をもっていたかまったく明らかではありません。 しかし大獄に連座した梅田雲浜や頼三樹三郎、池内大学などと親交をもっていたようですし、薩摩島津斉彬の命をうけて政治活動を行っていた西郷隆盛の定宿の鍵屋直助方は、このちかくの柳馬場錦小路上ルに位置しました。 また梅田の弟子で、のち池田屋事件に連座する西川耕蔵(北村屋太助)の住宅も、至近の富小路三条西入ルにありました。楢崎家が彼らの交流の場になっていたとしたら、この地は幕末政治史の重要史蹟のひとつといえるでしょう。 文久2年(1862)6月20日、父楢崎将作が亡くなると、お龍ら一家の生活は一変します。 長弟太一郎はまだ幼少で、亡父に代わって家族をやしなうことができず、とうとう一家はばらばらになります。 お龍とは別行動をとった母貞と末妹の君江は、洛東大仏方広寺南門前(現在の三十三間堂南大門)の河原屋五兵衛(もしくは五郎兵衛)の隠居所に居住する、土佐亡命志士の賄いのため、住み込みで働きます。 ここに龍馬が住んでいたのです。 これがお龍と出会うきっかけとなります。 龍馬はさきに紹介した姉宛の手紙に、お龍に関するさまざまなエピソードを記し、「まことにおもしろき女」と紹介しています。 龍馬が愛したお龍の人格の形成された場所、それは父の死まで一家団欒をすごした当柳馬場三条下ルの居所であったにちがいありません。 以上の理由から、当地を幕末史、とりわけ坂本龍馬に関する重要史蹟として認め、石碑を建立するものです。 知らなかった〜 今までの大河ドラマでは、麻生久美子や市川実日子が演じていましたが、そんな感じがしなかった。 龍馬伝では、真木よう子が演じるようです。 どんな演技になるでしょうか、こちらも楽しみです。 |
京都史跡めぐり
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新しい史跡ですね^^
もしかしたら、大河の最後の紹介の部分で、放送されるかもしれませんね!
2010/1/15(金) 午前 0:24
先を見越して記事にしてしまいました。
お龍のイメージはお嬢様では無かったのですが、新発見でした。
2010/1/15(金) 午後 7:18