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場所 京都市中京区木屋町通三条下ル材木町184 こんなところも史跡になるの? 現地解説板です。 【解説板の内容】 坂本龍馬の妻お龍(鞆)は、青蓮院宮に仕える医師楢崎将作・貞の長女でした。 京都柳馬場三条下ル東側に住んでいましたが、文久2年(1862)6月20日、不幸がおきます。 父の死去です。 このため母・妹・弟をふくむ6人の遺族は困窮し、「京都の木屋町」もしくは「四条、うら通りの借家」に移住します。 こののち一家は離散し、お龍(鞆)は単身七条新地の扇岩なる店に入ります。 母と妹君江は、洛東大仏南門前(現東山区本瓦町付近)の河原屋五兵衛(五郎兵衛)隠居所の土佐亡命志士の居所に住み込みで働きました。 その縁で龍馬とお龍(鞆)は出会うことになります。 木屋町の住居は、その直前まで住んでいた地として無視できません。 というのも、龍馬の書翰に記載されたお龍(鞆)の個性を知るエピソードに、妹光枝が悪い輩にだまされて大坂の遊郭に連れて行かれたが、彼女が単身乗り込み、ついに連れ戻すというものがあります。 それが木屋町時代のことです。 正確な位置は不明ですが、龍馬が「まことにおもしろき女」と愛したお龍(鞆)のゆかりの地として、ここ木屋町通に建碑するものです。 なお龍馬やその終焉地の主人近江屋新助とも交流のあった、滋賀県知事や京都府知事を歴任する中井弘も、中井弘蔵や田中幸助と名乗った幕末当時、木屋町の近江屋喜一郎の2階に寄宿していました。 あわせて顕彰します。 しかし、ここまで史跡にする必要があったのだろうか? |
京都史跡めぐり
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