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所在地 京都市中京区三条通河原町東入ル中島町113 かつて、三条大橋西詰の北側に高札場がありました。 詳しい地図で見る 現在近江屋ビルが建っています。 天正年間の大改造の際に使用された石の柱が残っている。 説明板。 【説明板の内容】 高札場とは幕府が決めた法度(はっと)や掟書き(おきてがき)などを木の板に書き、人目を引くように高く掲げる場です。 絵図は、文化2年に三条大橋西詰めの御高札場(現近江屋ビル前広場)に掲げられていた高札です。 当中島町には天保12年にこの高札の文面の写しが残っています。 それを見ますと、大半が正徳元年(1711)に定めた事が多く、親兄弟と仲良くし、家業に専念せよと書かれた「親兄弟の札」や、人足(荷役などの力仕事をする労働者)に担がす荷物の重さや料金が書かれた「駄賃の札」などがあります。 他にはキリシタンの不審者を発見すれば銀五百枚の褒美が出るとした「切支丹の札」、毒薬、偽薬の売買を禁じた「毒薬の札」、放火を見つけたらすぐに届けよと書かれた「火を付る者の札」もあります。 文化2年の「唐物抜荷之儀の札」は、密輸品が見つかれば差し押さえ、役人が立会いの元、封印すると書かれています。 三条小橋商店街振興組合 しかし、ある晩忽然と姿を消し、行方知れずとなりました。 南側には、弥次喜多の像が建っています。 右脇に木製の説明板がありました。 「道中安全祈願 ふれあいの弥次喜多さん 旅は道ずれ世はなさけ 道中安全願いつつ ふれて楽しい 旅のはじまり」 と書いてありました。 ここから江戸日本橋まで東海道が始まるのですね。 歩いたら53日かかるのかな? 説明板。 【弥次喜多像】 この像は、江戸時代後期に十返舎一九が書いた滑稽本「東海道中膝栗毛」の主人公である弥次朗兵衛と喜多八をモデルにしたものです。 「東海道中膝栗毛」とは、二人が伊勢詣でを思い立ち、数々の失敗や滑稽を繰り返しながら、東海道を江戸から京、大阪に旅する様子を描いた滑稽紀行文です。 物語では、大阪に行く前に三条大橋に近い宿屋に泊って、ハシゴを買わされる話になっています。 このブロンズ像は、三条小橋商店街が、二科会の会員で彫刻家の小山由寿氏に製作を依頼し平成六年に建立し、西院春日神社内にある旅行安全・還来成就の神である還来(もどろき)神社に御祈願をして頂きました。 【撫で石】 「無事に還り来る」の信仰で有名な還来神社にならい、旅の安全を祈願して「撫で石」を設置しました。 昨今、旅行中になにが起こるか分かりません。 旅行に来ておられる方、また、これから旅行に行く方、どうぞこの撫で石を撫でて旅の安全を祈願し、楽しい旅にしましょう。 また、この石は牛若丸(源義経)で有名な鞍馬から産出した鞍馬石で、酸化鉄の含有により玉葱状剥離が現れ、鉄錆色が前面を覆っているのが特徴です。 【三条大橋擬宝珠刀傷跡】 三条大橋西側から二つ目の南北擬宝珠に刀傷があります。 これは池田屋騒動のときについたのではないかといわれており、現在でもはっきり見て取れる刀傷です。 三条大橋を渡る時に目をやってみてはいかがでしょう。 三条小橋商店街振興組合 三条大橋擬宝珠刀傷跡。 池田屋から少し離れています。 刀を力強く振り回した大騒動だったんですね。 新撰組が三条高札場を監視していた三条会所跡付近の居酒屋メニュー。 今年はやっぱり龍馬でした。 土佐料理だそうです。 「かつおタタキ串揚げ」なんて珍しい。 最後に、三条大橋を見る。 三条大橋に纏わる歴史をご紹介しました。 |
京都史跡めぐり
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当時は保存する方法として塩漬けしかないにしろ、人の首ですからね…生まれた時代がそういう時代でなかったことに安堵してます。それにしても、近藤を慕う人々からすれば、近藤のさらし首というのは屈辱だったでしょうね。
2010/2/20(土) 午後 10:16
宰相さん
本当に現代とは違いますね。
さらし首は見たくないです。
生まれた時代が今のところ良かったです。
首は東京都三鷹市。福島県会津若松市、山形県米沢市に持ち去られたとの説があります。
それぞれ所縁の人が運んだとか。
2010/2/21(日) 午後 7:52