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場所 京都市中京区木屋町通四条上ル下樵木町 本間精一郎は、越後出身の勤皇志士です。 過激な志士として知られたが、軽率な性格からか同志に疎まれ、文久2年閏8月20日(1862年10月13日)この地で殺害された。 詳しい地図で見る 土佐藩邸跡の目の前です。 民家の玄関脇に石碑が建っています。 昭和43年11月に京都市によって建てられました。 先斗町で、薩摩藩・土佐藩の同志に大量の酒を飲まされ、その帰り道に襲われ、ここの南側の瓢箪露路を木屋町へ逃げようとしたが、はさみ討ちにされ、殺害されたという。 その瓢箪露路が、大きな民家の駐車場脇の入り口のところ。 実行犯は土佐藩士岡田以蔵という。 狭い所で刃を振り回したのですね。 刀傷が残っています。 石碑が無ければ全く知らなかった人ですが、明治になって新政府から従五位の官位が贈られている。 同志によって殺されてしまったのは残念ですが、少なからず明治維新に貢献した人なんですね。 |
京都史跡めぐり
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幕末は、ちょっと弱いんで本間精一郎を知らないんですけど
岡田以蔵との格闘キズは見に行きたくなります!
2010/3/29(月) 午前 7:04
僕もこの人物は知りませんが、軽率と思われていた彼に何故明治政府は、贈位したのでしょうかね?
あまり貢献した人物とは思えないのですが・・・
2010/3/29(月) 午後 8:41
おしょうさん
キズは民家の玄関先にありました。
ガイドに連れられた団体がドカドカと侵入していました。
住んでいる人はたまらないかも。
2010/3/29(月) 午後 9:09
大納言殿
同感です。
同志を殺めた罪悪感があったのではないでしょうか?
2010/3/29(月) 午後 9:10
私も知らないです。。
↑名誉賞みたいなものなんですかね??
2010/3/31(水) 午後 11:48 [ mat**u_p*pa ]
全く。
明治政府といい、石碑を建てた京都市といい、評価の基準が解らないです。
しかし、この機会に知ることも出来ます。
勉強になりました。
2010/4/1(木) 午後 11:23