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場所 京都市中京区下丸屋町413-4 藩邸跡の大部分は御池通になっています。 敷地の南東部分に高層マンションが建っています。 高瀬川を挟んだ木屋町通御池西南角に碑と説明板が建っています。 昭和43年11月に京都市によって建てられました。 説明板。 この高瀬川の西側、河原町通にいたる間は、江戸時代、加賀(石川県)藩の藩邸があった。 藩邸が初めて置かれたのは、江戸初期で、古絵図には高瀬川の橋に、加賀橋の名が残っている。 藩邸には留守居役が詰め、町人の御用掛を指名して、各種の連絡事務に当たった。 加賀藩は江戸時代外様の最大の大名で、百二万七千石。 前田家が代々藩主。 幕末の加賀藩は、激動する政局の中で活躍することは少なかった。 五代綱紀は学問芸術を愛好して文治政治を行った英主で、東寺の古文書を整理するなど京都との関係は深く、この伝統はその後も受け継がれた。 この藩邸は、こうして文化的に京都と加賀を結びつける大きな役割を果たした。 京都市 豊臣御恩顧の大名が転封改易される中、前田家は大名として幕末まで良く残りましたね。 |
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月の輪殿さん、高瀬川沿いを歩いているときにこの碑をみたような気がします^^
位置関係が頭に入っていなかったのですが、加賀藩邸は土佐藩邸と向かい合っていたんですね。
京都と金沢、文化的な結びつきが強かったような気がします。
WPいきますね!
2010/4/11(日) 午後 8:59
Shaneさん
向かいあっていたのは長州藩邸ですが、今日の大河ドラマでは、加賀藩邸は紹介されなかったですね。
2010/4/11(日) 午後 9:35
こちらもTBさせて頂きますね^^
上の僕のコメント、長州藩邸と土佐藩邸を取り違えてますね(汗)
2011/1/5(水) 午後 10:12
Shaneさん
指摘するようでスミマセン
TVや本で解かっても、実際行った方が良く解りますね。
昔、この交差点の北東角に「フィッツジェラルド」という雰囲気のいいバーがあり、たまに行っていたのですが、この時行ったら無くなっていました。
マンションなんかも建ったりして。
交差点西北角も更地になっていたので何か建ちそう。
石碑だけが往時のままでした。
2011/1/5(水) 午後 11:19