三日月の館

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場所 京都市東山区下河原町528

高台寺塔頭である月真院に、御陵衛士の最後の屯所があったと云う。

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御陵衛士(ごりょうえじ)は、孝明天皇の陵(後月輪東山陵)を守るための組織。
高台寺党(高台寺塔頭の月真院を屯所としたため)とも言う。
慶応3年(1867)3月10日に伊東甲子太郎が思想の違いから新選組を離脱、志し同じ者を新選組から引き抜いて結成した。
一応の離脱理由は、泉湧寺塔頭・戒光寺の長老である堪然の仲介によって孝明天皇の御陵守護の任を拝命した事と、それに伴い薩摩、長州の動向を探るという事であった。
最初は五条橋東詰の長円寺(善立寺説もあり)に屯所を構えた。
同志は弟の三木三郎、篠原泰之進、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助、富山弥兵衛、阿部十郎、内海次郎、加納鷲雄、中西昇、橋本皆助、清原清、新井忠雄、斎藤一(斎藤は新選組の間諜とも)の計15名。
他にも、茨木司、佐野七五三之助、富川十郎、中村五郎ら10名も後に合流を図ったが、嘆願に行った会津藩邸で、茨木、佐野、富川、中村の4人が死亡(切腹、殺害両説あり)、残りの6人が放逐という結末となった。
そもそも御陵衛士と新撰組との間には隊士の行き来を禁止する約束があり、そのことを知らずに新撰組を脱走して御陵衛士に加わろうとした彼らは行き場所を失った形となった(新撰組を脱走したものは法度により屯所に連れ戻して切腹ということになっていた)。
これとは別に、茨木たちの切腹後隊で居場所を失い脱走をした武田観柳斎も衛士側に合流を拒否された(そもそも茨木たちの脱走を勧めたのは観柳斎と言われている)。
慶応3年6月、山陵奉行・戸田大和守忠至に属し、長円寺から東山の高台寺塔頭・月真院に移り「禁裏御陵衛士」の標札を掲げた。
一般的に薩摩藩に近づいたとされるが、異説もある。
新選組とは佐幕と勤王倒幕で袂をわかっただけに、新選組の襲来を恐れていつも刀を抱いて寝たという。
ただし、近年の研究では倒幕と言っても緩やかなものであり、松平春嶽らの思想に近かったものと言われている他、薩摩藩とは一定の距離を置いていたという説がある。
油小路事件で伊東や藤堂らが死亡。
残った同士は薩摩藩邸に逃げた。
これにより解散。その後の御陵衛士の生き残りは赤報隊に2番隊として参加した。
(wikipediaより)

屯所跡である月真院の山門。
月真院は、元和2年(1616)北政所の従弟久林玄昌が、津和野藩2代藩主亀井豊前守茲政の保護の下に建立した寺と云う。
イメージ 1

山門北側には大日如来がおられます。
イメージ 2

南側には、ここが御陵衛士屯所跡であることを示す碑と説明板が建っています。
イメージ 3

説明板。
イメージ 4


【御陵衛士屯所跡】
ここ高台寺月真院は、慶応3年(1867)6月から11月にかけて、熱烈な勤王主義者で、孝明天皇の御陵衛士伊東甲子太郎ら15名が屯所とした所である。
伊東は常陸(茨城県)の出身で学問もでき、剣は北辰一刀流の名手であった。
新撰組に入り、その参謀となったが、隊長近藤勇と意見があわず、慶応3年3月、同志14名をつれて新撰組と分れ、御陵衛士に任命され、ここを屯所とした。
それからは、薩摩藩の援助をうけ、各藩を廻ってさかんに勤王を説いた。
しかし新撰組との対立は深く、慶応3年11月18日、伊東は新撰組に謀殺され、さらに同志3名も斬られて、御陵衛士隊の活動は終った。

京都市

碑を拡大。
イメージ 5

後ろの碑は歌碑ですかね。
読めないです。
イメージ 6

その横の隠れて見えにくい碑には、「鉄道先覚者 谷暘卿先生墓所」と書かれていました。
谷暘卿は医師でありながら、鉄道の重要性を認識し新橋−横浜間の鉄道建設を建議した人と云う。
また、碑の前には「ツバキ」と書かれています。
この月真院の境内に、織田有楽斎が好んだとされる「有楽椿」があると云う。
イメージ 7

非公開だったので入れず、ちょっとだけ覗いてみました。
イメージ 8

中には、御陵衛士屯所だった頃の部屋も残されているとか。
公開されることがあったら行ってみたい。

閉じる コメント(11)

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先月、新撰組斎藤一の小説を読んだ所なので、
この記事、楽しく読めました^^
斎藤さんは、やっぱ新撰組の間者だったんでしょうね。。

2010/7/5(月) 午前 1:00 おしょう

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Wポチ☆です^^

2010/7/5(月) 午前 1:01 おしょう

月の輪殿さん、血に塗られた新撰組の短い歴史の中でも、油小路での伊東甲子太郎の忙殺は、顔を背けたくなる事件のひとつです(^^;
高台寺のこの碑は、僕も眺めた記憶があります^^
WPいきますね!

2010/7/5(月) 午後 9:03 Shane

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おしょうさん
斎藤一はオダギリジョーが演じた人でしたね。
御陵衛士に加わっていたのですね。
詳しくないのに記事書いてしまいました。
いつも有難うございます。

2010/7/5(月) 午後 10:17 月の輪殿

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Shaneさん
ここは、産寧坂へ向かう途中にあるので、京都観光では必ず通る場所です。
正面にねねのいた圓徳院があるので、そちらに目移りしてしまうと思いますが。
いつも有難うございます。

2010/7/5(月) 午後 10:20 月の輪殿

ご無沙汰しています。

このあたりは、花灯路等で年に1回は歩くところです。。
上の方々が書かれている通り御陵衛士といえば
伊東甲子太郎ですね〜。

「龍馬がゆく」でも伊東が出てきますが、その中でもあまり
よく書かれていなかったかと。。なんだか悪役っぽいイメージ
ですね。^^;

2010/7/6(火) 午後 9:54 [ mat**u_p*pa ]

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国盗りクイズの更新で、「お元気なんだろう」と思っていました。
(最近城下町も始めました)
夏までお休みしますので、今度はこちらがご無沙汰させていただきます。

2010/7/6(火) 午後 10:05 月の輪殿

月真院を拝観したい

2010/7/9(金) 午前 9:27 [ 中路正樹 ]

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月真院の拝観予定が無いのが残念です。
秋か冬にあるといいですね。

2010/7/10(土) 午後 11:49 月の輪殿

新選組ファンとしてはここも訪れたい史跡です。
油小路事件はまさに殺戮集団新選組!って感じですが。
ここでやらなければ、逆に近藤さんが打たれていた可能性もある
のでは?
御陵衛士と言えば、永倉新八が明治になって町でばったり三木三郎
と出遭い、斬り付けられた逸話を思い出します。

2010/7/26(月) 午後 9:30 るな

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この後、御陵衛士の史跡をご紹介しますが、今しばらくお待ちください…

2010/7/27(火) 午後 9:11 月の輪殿


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