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場所 京都市東山区清水3丁目334 【明保野亭事件】 元治元年6月10日(1864年7月13日)に、幕府の命により池田屋事件の残党の捕縛を命じられた新選組が、同日に東山の料亭・明保野(あけぼの、曙とも)に長州系浪士が潜伏するとの情報を得た。 武田観柳斎率いる新選組隊士15名と、前日より応援として派遣されていた会津藩士20名のうち5名が共に捕縛に向かった。 現場で会津藩家中の柴司が、座敷にいた武士を制止しようとしたところ相手が逃げ出したため、取り押えようと追跡のうえ槍で傷を負わせた。 直後に相手が浪士ではなく土佐藩士麻田時太郎(時次郎、とする説もある)と判明したため、その場で解放した。 当初、柴の行為に問題無しとして念のため会津藩から医師と謝罪の使者を送り、これに対し土佐藩側も最初に名乗らなかった麻田にも落ち度があると理解を示していたものの、翌6月11日に麻田が「士道不覚悟」として藩により切腹させられたことにより、若い土佐藩士たちが「片手落ち」だと激昂し、会津・土佐の関係に亀裂が入りかねない事態へと発展した。 結局6月12日に柴司が謝罪の意で切腹し、両者の関係悪化は回避された。 (wikipediaより) 京都の人気観光スポットである産寧坂。 この坂の途中に料亭・明保野亭があります。 値段は2〜3,000円。 店の前に碑が建っています。 「維新 明保野亭跡 」と書いてある。 春はしだれ桜がきれい。 けど、人・人・人… 時期を変えればこの通り。 ゆっくり散策出来ます。 ところで、幕末当時の明保野亭はここから北東のところにあったと云う。 産寧坂の麓にある青龍苑。 青龍苑の庭園と茶室。 ここは、古くは豊臣秀吉の正室北政所の甥である木下長嘯子(勝俊)の隠棲の地だったと云う。 この庭園の南に、明保野亭の門が残っています。 表へ廻ってみる。 ベストショット! 悲劇の舞台だったとは思えない、温かい感じの茅葺の門。 観光客の目に触れること無くひっそりと佇んでいました。 (おまけ) 八坂の塔へ行く八坂道。 八坂の坂は「夢見坂」ともいうのどすか? 京料理「修伯」の前に碑が建っています。 何の石碑でしょうか? 「明保…」 似てるなぁ〜 違いは真ん中の丸の中が反対であること。 (明保野亭の石碑は三日月?部分が空洞になっている。) 反対側の石碑。 こちらは道標でした。 「明保…」の石碑はいつかまた調べに行こうと思う。 |
京都史跡めぐり
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すごい人ですね!!
時期外れの平日の方がいいな^^
京都って、一度しか行ったこと無いから、こんな細かく散策したことないです
今度、ゆっくり回ってみます Wポチ
2010/9/22(水) 午前 8:08
産寧坂などは何がいいのかさっぱり解りません。
しかし、観光名所なのでシーズンは押し合いになる程混みます。
時期ハズレの平日がGood!
ただし、博物館等の休館日には注意です。
2010/9/22(水) 午後 6:32