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場所 長崎県長崎市万才町8番16号
路面電車「賑橋」停留所から西へ行った所にある長崎地方法務局。
ここに、長崎の豪商・小曽根邸があった。
現在、一画に碑が建っています。
説明板。
小曽根家は武田勝頼の家臣を遠祖とし、江戸時代初期に平戸の貿易商で出島築造に際し出資を行った25人の出島町人のひとり、平戸道喜を祖先とする。
幕末に越前藩や佐賀藩の御用商人となり長崎屈指の豪商となった。
小曽根乾堂は書家としても有名でした。
乾堂の弟である英四郎は龍馬と親交があり、慶応3年(1867)海援隊はこの屋敷を本部とした。
また、近藤長次郎が切腹したのもこの屋敷だったと云う。
碑を拡大。
側面に説明が書かれている。
小曽根家は幕末の頃よりこの地で質商を営んでおり、当主の六左衛門並びにその子栄(号乾堂)同英四郎の父子は、早くより我が国の※※※商貿易こころがけ多くの志士等を援助した。
(※は一部読めないところ)
龍馬の妻・お龍は慶応2年(1866)6月から翌年2月まで小曽根邸に寄留し、乾堂の娘・キクから月琴を習ったと云う。
今年になって、小曽根邸の石碑の裏にモニュメントが造られた。
道からだとちょっと目立たない場所でした。
(おまけ)
小曽根邸跡から少し南へ行ったところにある農林中央金庫長崎支店。
店の前に碑が建っている。
旧外浦町由来が書かれていた。
この付近は外浦町といったが、現在は周辺の町と纏めて万才町や江戸町と町名を変えている。
読み難い石碑で、何と書いてあるのか良く解らないが、付近はちょっと高台の岬のような地形で周りを石垣が廻っている。
その先端が出島と接続していた。
今は海岸線がだいぶ埋め立てられ、出島も島では無くなっているが、かつての長崎を僅かながら偲ぶことが出来る。
詳しくは、長崎歴史文化博物館で販売されている「復元!江戸時代の長崎」を読むともっと良く解ります。
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ここ自分の泊ったホテルのそばです!!
こんな史跡があるなんて初めて知りました^^
大河の影響で、いろいろなものが出来るんですね♪
Wポチ
2010/10/3(日) 午後 11:58
この辺りは江戸時代の長崎の一等地だったようです。
法務局は大通りから一本入った通りに面していますから目立たないですね。
2010/10/4(月) 午後 9:01
月の輪殿さん、小曽根乾堂(?)は「龍馬伝」で初めて知りました。
亀山社中は山の上ですが、海援隊は海の近くにあったんですね。ここに龍馬も匿われていたんですね。
今度長崎に行ったらここを訪れてみたいです!
WPいきますね〜!
2010/10/4(月) 午後 9:50
小曽根乾堂は、ドラマでは中国風の服を着た商人として登場していますが、歴史上では書家として有名のようです。
いろんな顔がある才能ある人は羨ましいです。
2010/10/4(月) 午後 11:28