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場所 京都市中京区河原町通蛸薬師下る塩屋町330番地 慶応3年(1867)11月15日夜、坂本龍馬と中岡慎太郎は近江屋の2階で会談中、刺客に襲われ命を落としました。 当時の近江屋の建物は残っていませんが、現在跡地の東側半分は河原町通となり西半分はコンビニになっています。 入り口の横に碑と説明板が建っています。 説明板。 坂本龍馬と中岡慎太郎が会談中、十津川郷士を名乗る数名の武士の襲撃を受けた。 午後9時頃のことだった。 刺客が去った後、龍馬は「石川(中岡の変名)刀はないか」等何度か叫んでそのまま絶命してしまった。 中岡慎太郎は二日間生き延び、暗殺犯の襲撃の様子について谷干城などに詳細に語り、11月17日に死去した。 犯人は「コナクソ」と叫んで切り込んで来たと云う。 【坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地(近江屋跡)】 この地は、慶応3年(1867)11月15日、維新の功労者である土佐藩海援隊長の坂本龍馬(1835〜1867)が盟友である陸援隊長の中岡慎太郎(1838〜1867)とともに、刺客に暗殺された近江屋(醤油商)があった所である。 龍馬は、海援隊の本部があった酢屋(材木商)に下宿していたが、前年の寺田屋事件より幕府から狙われていたため、土佐藩の出入商人であった近江屋に移っていたのである。 11月15日の夕刻、中岡が近江屋を訪ね、大政奉還後の政局について論じていたが、夜になり、十津川郷士と称する男たちによる襲撃を受けた。 龍馬はその場で絶命し、中岡も二日後この世を去った。 龍馬33歳、中岡30歳。 実に大政奉還(10月14日)が行われた1ヶ月後、大政復古の大号令(12月9日)が出る1ヶ月前の出来事であった。 龍馬と中岡は、ともに遭難した山田藤吉と現在の京都霊山護国神社に埋葬されている。 京都市 碑の横には花が添えられていました。 旧井口某さんの家でもあったらしい… (誰のこのかな?→後日調べたら、近江屋の主人の名のようです。) コンビニの店内には龍馬グッズが売られていました。 円山公園内にある坂本龍馬と中岡慎太郎の像。 奇しくも龍馬33歳の誕生日の出来事だった。 龍馬が目指した新しい時代まであと少しだったのですが… |
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今、最も旬な場所なのに何の風情もなく、寺田屋と比べると残念な場所ですね。
2010/11/29(月) 午前 0:43
大納言殿
全く同感です。
しかし、河原町通の拡張によって、本来の場所が道路や歩道部分になってしまったのでしょうがないかも。
2010/11/29(月) 午後 7:45
「龍馬伝」の最終回は感動。
暗殺シーンは電光石火の如く、一瞬でしたが、実際もあのくらいの
速さで行なわれたのでしょうね。
今はコンビニですか…ドラマの感動が醒てしまいそう(^-^ゞ
でもポチっ。
2010/12/1(水) 午後 9:03
るなさん
とうとう終わってしまいましたね。
最期は泣いてしまいました。
年末までもうちょっと引っ張ってくれたら…
(せっかくの記事が余ってしまいました。)
2010/12/1(水) 午後 9:26
お久しぶりです。
自分も、一昨日見てきましたよ!
人通りが多くて、ちょっとビックリでした^^
今夜 龍馬最終回みます!
ちょっとは思いれ深かく見れるかな‥
2010/12/3(金) 午後 2:26
おしょうさん
師走ですから人通りが特に多かったでしょうね。
NHKの龍馬暗殺の見解は「なるほど」と思いました。
2010/12/4(土) 午前 8:31