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(もどる) 子守堂の桜から少し北東へ行った所にあるのが赤坂の薬師桜です。
説明板。 前々回ご紹介した薬師桜とは同時期に植えられたとか。 根元には当地出身の江戸時代の俳人、和田東潮の句碑がある。 最後にもう一度見る。 さらに東へ。 最上川を渡って荒砥の町へ入る。 撮っておけばよかったと後悔。 山形鉄道は最上川を渡ると北へカーブして荒砥駅へと至る。 この駅が山形鉄道フラワー長井線の終着駅。 鉄道はさらに北へ延び、左沢線と繋がる計画だった。 かつては製材の町として栄えたとか。 駅前の道。 狐越街道といい、長谷堂合戦の折、荒砥城の稲荷神社で戦勝祈願した直江兼続がこの道を進軍、途中で道に迷っていると神社の白狐が現れ道案内をしたということから名がついた。 また城めぐの血が騒ぐ。 (これも予定には無かったんだけどなぁ〜) 駅前の丘(八乙女ヶ丘)にある荒砥城へ行ってみる。 登城道。 鉄道開通当時に記念の桜として植えられたものが数本残っている。 川を渡る。 これは堀だな。 堀伝いに回りこむ。 こちらが大手口かな。 登った所にある荒砥地区館。 この辺りは殿町という。 居館があったのだろう。 その裏にあるのが荒砥城本丸。 すぐに登れるので登っちゃう。 腰曲輪。 本丸。 奥に鎮座するのが直江兼続が戦勝祈願したと云う御楯稲荷神社。 本丸の北、一段低い曲輪に八乙女神社が鎮座。 八幡太郎義家がこの丘で弓矢を立て奉り8人の乙女に舞楽を奉納させたと伝わる。 八乙女神社の曲輪から本丸を見る。 参道にはさらにもう一段低い曲輪がある。 ここに八乙女種まき桜がある。
荒砥城主桑島和泉守が庭前に植えたものとも。 参道を覆う八乙女種まき桜。 さらに八乙女種まき桜を覆う安田杉。 おかげで日当たりが悪い。 荒砥城の北には空堀があったと云う。 行ってみる。 参道の階段を下りて行く途中にある蛇井戸の跡。 敵の攻撃を受けた時、空井戸の竜神に祈ると、不思議にも水が湧き溢れ空堀に水が充満して、敵の侵入を防ぐ難攻不落の城になったと云う。 荒砥城を東から見る。 この辺りが空堀跡らしい。 本丸に戻り殿町を見下ろす。 横にある仏像群。 荒砥城の城番衆の一員だった船山勘解由の子孫が建立した供養碑とか。 荒砥城を後にしました。 ここから一気に南下。 借りた自転車を返しに最上川右岸を進む。 国道287号線を進んでいるとまた桜を発見! 時間も無いので一旦は通り過ぎかけたが、何か気になって戻ってしまった。 なかなか立派な桜だなぁ〜。 何と名のつく桜だろう、と幹のそばに立っている説明板を読むと… 「黒藤館跡」 ここも城跡? 伊達晴宗の頃、桑島三郎左衛門という地頭が住んでいたそうです。 土塁と空堀が残っているようですが、もう体力の限界で見に行く気になれませんでした。 さらに南下。 原のしだれ桜へ行こうとしたのですが、道に迷って解からなくなった。 近くまで来ているはずなのですが… 断念しました。 さらに南下。 白鷹町と長井市の境付近にあるのが殿入り桜。
説明板。 米沢藩主上杉斉定が立ち寄ったとの言い伝えから「殿入り桜」と名が付いたと云う。 正面から。 横から。 上から。 周りにの桜も満開できれいでした。 夕日が沈んで行きます。 桜の花びらが流れて行きます。 花びらとともに春ともお別れ。 今年も桜前線を追いかけてたくさんの桜を見ました。 また来年もきれいな花を咲かせますように。 |
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