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登城日 1回目 1993年秋 2回目 2011年 4月30日(土)晴時々曇 難易度 ☆ 場所 埼玉県比企郡嵐山町菅谷757 【菅谷館跡】 菅谷館跡は鎌倉時代の有力御家人である畠山重忠が文治2年(1187)までには住居していたといわれる中世の重要な遺跡です。 元久2年(1205)、武蔵国二俣川の合戦の際、重忠はこの館から出発したことが鎌倉時代の記録「吾妻鏡」に書かれています。 また、室町時代の漢詩文集「梅花無尽蔵」によると、長享2年(1488)に山内上杉氏と扇谷上杉氏が須賀谷原で戦い、戦死者700人、馬は数百匹が倒れたと記され、この菅谷城付近で激しい戦いがあったことを伝えています。 現在の遺構は、本郭、二ノ郭、三ノ郭などと、それらを防御する土塁、空掘などからなり、このような姿になったのは、戦国時代のことと考えられます。 昭和48年(1973)5月、関東の有力豪族である畠山氏の館に起源をもつ城館跡として国の史跡に指定され、平成20年(2008)3月には比企城館跡群菅谷館跡と名称が変更されました。 平成20年3月 埼玉県教育委員会 縄張図。
駅から南へ進み、国道254号線バイパスを渡ると菅谷館跡があります。 この国道254号線バイパスは外堀跡にあたります。 土塁が廻っています。 土橋を渡って搦手門から入城。 説明板。 入ると三ノ郭。 土塁が廻る。 まずは、埼玉県立嵐山史跡の博物館へ。 菅谷館の城主だった畠山重忠がお出迎え。 菅谷館の模型。 菅谷館のことが学べます。 比企城館跡群のことも。 埼玉県立嵐山史跡の博物館を出る。 博物館の南側。 建物跡と井戸跡が保存、位置が示されている。 ここにも縄張の模型。 この模型は、土塁と堀が良く解る。 三ノ郭と二ノ郭の間の堀跡にあたる道。 東の外堀北側。 東の外堀南側。 今度は二ノ郭へ向かいます。 二ノ郭へは、三ノ郭南東から空堀道を通って南へ進み、東の虎口から入る道と、三ノ郭中央の馬出しから入る道があった。 まず、空堀道。 二ノ郭土塁東側と空堀を北から見る。 帯郭の空堀道。 南から見る。 東の虎口。 二ノ郭と本郭の間の堀。 二ノ郭へ。 城址碑と説明板。 二ノ郭と本郭の間の堀東側。 西側。 本来の虎口ではない所から本郭へ。 本郭の様子。 説明板。 ここに畠山重忠の館があったとの伝承がある。 土塁が廻る。 本郭東にある生門。 ここが本郭への虎口というが、ここまでの道が解からなかった。 本郭西側の土塁は高い。 本郭南の空堀を渡って南郭へ。 南郭。 南郭から本郭を見上げる。 説明板。 南郭の南西部には土塁が残る。 土塁の南側は都幾川。 再び二ノ郭へ。 (つづく) |
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菅谷館は良く残っていますよね。良いお城です☆彡ポチ
規模的には菅谷館じゃなく菅谷城の名前が相応しい!
博物館の畠山重忠ロボットですが見学者はみなボタン押して
最後まで話を聞かないので、重忠の独り言になってしまうの
ですよね(^-^ゞ
2011/9/4(日) 午前 6:28
るなさん
畠山重忠は喋るのですか?
気付かなかったです。
2011/9/4(日) 午前 8:41
月の輪殿さん、菅谷館を訪れた時は暑い時期に杉山城から歩いたので、ものすごく疲れました(^^;
館跡の博物館、入っておくべきでした(汗)
WP & TBさせて頂きますね!
2011/9/4(日) 午前 10:06
Shaneさん
杉山城から歩いたら大変ですね。
博物館は必見ですよ。
2011/9/4(日) 午後 9:53