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登城日 2011年 4月 2日(土)晴のち曇 難易度 ☆☆ 場所 奈良県奈良市柳生下町 徳川家兵法指南役だった柳生氏の元居城です。 詳しい地図で見る 【柳生城の概要】 柳生城は打滝川沿いの柳生の小盆地を東から見おろす芳徳寺の東南の山上を主郭とし、芳徳寺境内もその城域に含んでいたようである。 山上の本丸相当部分は50m×60mの琵琶形の台地で、畑地となって土塁などの遺構はないが、堀切を隔てた東北方の小郭は、その背後の堀切に面して土塁を残し、本城中最も中世山城の面影を伝える部分である。 本丸南方尾根に一段下って南北に細長い郭があるが、浄水場工事のため、かなり変形されている。 その南の堀切はよく残っている。 この堀切から西へ正木坂道場へ下る途中の谷地形の所に井戸がある。 以上で縄張りはまとまっているが、本丸より20m低い芳徳寺の境内は、北端に土塁が走り、3〜4m削り落して腰郭を伴っていること、打滝川に臨む崖線がカーブする彎入部に腰郭を抱え込んでいることなどから郭であったことがわかる。 ここが一番突き出した地形であることから推して、あるいはここが最も古い城地であったかもしれない。 正木坂道場の地も城域であった可能性がある。 また、本丸・芳徳寺・正木坂道場の間の平場は、後世にならされているが、その西側の崖縁に土塁の跡が鉤形に残っているので、ここも郭であったと推定できる。 とすると、現状では分散的にみえる城域にまとまりができる。 以上の推測が正しければ、柳生城は東山内では最大級の中世城郭であったといえる。 本城はのちに陣屋となった丘上の居館に対する詰城から発達した城郭である。 なお、芳徳寺の東北の尾根上に柳生氏歴代の墓地がある。 (日本城郭大系より抜粋) 柳生陣屋から見た柳生城。
城域の一部という芳徳禅寺へ向かいます。 坂の途中にある正木坂剣禅道場。 かつて柳生十兵衛三厳が門弟に稽古をつけたことに由来する道場。 ここも、柳生城の一部とも。 正木坂道場の上にある芳徳禅寺。 ここも柳生城の一部と云う。 山門前に「石舟齊塁城址」の碑が建つ。 土塁が残る。 土塁の上から見る。 正木坂道場を見下ろす。 芳徳禅寺へ。 境内の様子。 本堂。 説明板。 沢庵和尚が開山と云う。 本堂から境内を見る。 塀の向こうに、柳生城のある山が見えます。 本堂の裏にある柳生一族の墓地へ。 墓地入り口。 墓地の様子。 右から、俊則、俊平、宗在、(間に宗厳の墓が見える)、十兵衛(三厳)、宗矩(奥まった所にある墓)、宗冬、俊方。 新陰流の祖、上泉伊勢守信綱の供養塔。 いよいよ柳生城主郭へ向かう。 芳徳禅寺から見た柳生城。 正木坂道場前の井戸付近に登城道がある。 登るとすぐに堀切に到達。 堀切上の郭は水道施設になってしまっていて、遺構は破壊されている。 主郭下の登城道。 枯れ葉で滑りやすい。 主郭へ。 主郭西側は一段低くなっている。 石列? 何の跡かな? 主郭。 主郭から南を見下ろす。 眼下に水道施設のある郭が見えました。 北にも郭があるそうですが、木が生い繁っていたので引き返してしまいました。 最後に、柳生陣屋へ向かいました。 この城も今一つ良く解らない城でした。 |
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ここ、いつかは行きたいと思ってる場所です
柳生一族の資料館も魅力的です Wポチ
2011/9/6(火) 午後 11:35
月の輪殿さん、僕もここは是非行きたいところです。
柳生陣屋と柳生城は別物と考えていいのでしょうか?
ここに、宮本武蔵も剣の修行に来ていたんですね。
WPいきますね!
2011/9/6(火) 午後 11:57
おしょうさん
資料館の中には刀なんかもあって良かったですよ。
2011/9/7(水) 午後 11:59
Shaneさん
柳生城の後に柳生陣屋が出来たようです。
柳生陣屋の前は居館があったかも。
2011/9/8(木) 午前 0:01
お久しぶりです
やっとのことで、GWに念願の柳生の里に行って来ました。
この記事を参考に散策させていただきました
ありがとうごさいます^^
2013/6/3(月) 午前 8:11
おしょうさん
お久しぶりです。
訪問&コメント有難うございます。
2013/6/5(水) 午後 10:05