|
登城日 2011年10月 1日(土)晴 難易度 ☆ 場所 兵庫県姫路市広畑区則直 最寄駅は、JR山陽本線はりま勝原駅。 平成20年に出来た駅です。 赤松則尚が築城したと云う則直城の別名は七ツ岩城。 その七ツ岩が、はりま勝原駅の北に聳える京見山の中腹にあるというので、きっとそこに城があるのだろうと思い行ってみる。 地名の「則直」が赤松則尚と似ているし… 京見町公民館の脇にある登山口。 階段を登りきると急な山道となる。 ごつごつした岩肌の道。 ウバメガシに囲まれ見晴らしが効かない山道だった。 10分程で大きな岩が見えてきた。 ここから少しだけ広畑区の街並みを見ることが出来た。 周囲に岩がごろごろ。 これが七ツ岩のようだ。 しかし、城っぽくなかった。 山道を進む。 石垣の跡だったりして。 何も調べず、七ツ岩を頼りに登って来たので、結局則直城のことは解らなかった。 きっと、ここだったんだろうと思い後にしました。 赤松則尚(1425−1455)は、播磨守護赤松満祐の弟赤松祐尚の子。 嘉吉元年(1441)に起こった嘉吉の乱では伯父の満祐に従って播磨で幕府軍と戦ったが、9月10日に満祐が自害すると、則尚は播磨から逃亡した。 その後、各地に潜伏して御家再興を目指し、文安元年(1444)には赤松満政や赤松祐則らと共に赤松氏の故地である播磨奪還を目指して挙兵したが、播磨を与えられていた山名持豊(山名宗全)によって破られた。 以後また潜伏していたが、阿波守護細川持常の指示に従い叔父の赤松則繁を當麻寺にて討ち取ったことで細川持常と政所執事伊勢貞国から播磨返還を約束されたが、山名宗全が拒絶したため播磨は獲得出来なかった。 しかし、細川勝元の仲介で赦免され幕府へ出仕するようになった。播磨守護を回復するために同士討ちをしてしまった。 (おまけ) せっかくここまで来たので京見山へ向かいました。
一旦下る。 竪堀でもないかとキョロキョロ。 相変わらず見晴らしが悪いです。 岩があちこちにありますね〰 また登り。 七ツ岩から5分で眺望が開けました。 手前のこんもりとした所が七ツ岩のある所だろう。 ゴツゴツした岩。 ここから頂上まであと200m。 またこんな感じ。 約10分登ってようやく視界が開けてきた。 京見山頂上到着! 三角点。 京見山から南を見下ろす。 北を見下ろす。 頂上にあった地図。 古墳がたくさんあるようです。 約15分程で泣き坂峠へ到着。 羽柴秀吉によって落城した英賀城から、女、子供、落武者が悔い泣きながら落ち延びて行ったことから「泣き坂峠」と呼ばれるようになったという。 白毛山へ向かう。 約10分で四ツ塚古墳を通過。 見晴台から京見山を見る。 この辺りは山火事の跡。 電波塔がある所が白毛山。 約10分で白毛山に到着。 蒲田城があると案内板に書いてありました。 行ってみる。 車道に沿って歩いていたらまた蒲田城の案内板。 脇道に逸れるようだが、行ってみると凄いブッシュと急な坂道だったので断念。 車道から見た蒲田城。 まだ未練が残る。 廃墟のようなキャンプ場の先を進むと、先程断念した坂道と合流。 蒲田城へ行こうと進んでみたが、やはり凄いブッシュで断念。 蒲田城は別所右衛門の城だったそうです。 城山神社方面へ下山途中、石垣があちこちにありました。 居館でもあったのでしょうか。 麓の城山神社。 由緒書。 以前は、蒲田城にあったが昭和22年に麓に遷座。 さらに平成22年にこのようにきれいになった。 結局、蒲田城のことも良く解らず後にしました。 |
全体表示
[ リスト ]



