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登城日 2回目 2011年 8月 4日(木)晴 難易度 ☆ 場所 兵庫県たつの市龍野町北龍野 龍野城まで来たので、やっぱり登ってしまった… 説明板。 【鶏籠山龍野古城】 原生林に包まれた「鶏籠山」は、鶏の伏せ籠に似たような山だったので、その名がつけられたといわれ、山頂には、今もなお風雪に耐えてきた城の石垣などが残っています。 山頂の城は、明応8年(1499)に赤松一族によって築かれ、赤松村秀が最初の城主となり、この地方を治めていました。 赤松氏は政秀、広貞、広英と城主となり、四代78年続きます。 天正5年(1577)、天下統一をめざしていた織田信長は、播磨、中国地方を平定するため、家臣の羽柴秀吉に播磨攻めを命じます。 秀吉軍は、二万の大軍で揖保川まで攻め寄り、この様子を眼下に見た赤松広英は、赤松の滅亡を憂い、城を明け渡し秀吉の軍門にくだります。 (のちに、赤松広英は、但馬の国和田山、竹田城主となる。) 龍野城は、蜂須賀正勝、福島正則、木下勝俊、小出吉政など秀吉が最も信頼する重臣たちが代々城主となります。 その後、1598年頃に山頂の城を取り壊して、ふもとの現在の地に城が築かれたといわれています。 (徳川時代となり、ふもとの城は、元和3年(1617)龍野藩主として本多政朝が入城し、藩主が入替わりながら、藩主脇坂安斐、明治4年(1871)廃藩置県まで続く) 龍野古城には本丸跡、二の丸跡、竪堀り跡、八幡宮跡、土塁跡、削平地跡などがあり、弓矢に利用されていた矢竹が群生しています。 霞城文化自然保勝会 兵庫森林管理署 想像復元図を拡大。 足元が滑りやすい古城大手道を登る。 またまた途中にあった石垣を見る。 削平地。 曲輪が見えてきた。 石垣の跡? 石段の跡? 数段の曲輪が連なる横の帯曲輪を進む。 振り返る。 改めて見てみると、石垣は無いがこの辺りも見応えあるなぁ〜 龍野城から約20分で二の丸到着。 石垣が崩れた跡かな。 帯曲輪に沿って本丸へ向かう。 前回見落としたが、本丸隅以外にも結構石垣が残っているのですね〰 上から見下ろす。 付近は矢竹が群生。 二の丸と本丸の間の削平地。 本丸南側の崩れた石垣。 本丸側面の石垣。 本丸へ登る。 本丸の様子。 近づいてみると、「龍野古城」の碑が建っていた。 本丸にあったもう一つの説明板。 本丸はそれほど広くない。 またまた本丸から八幡宮跡を見下ろす。 八幡宮参道を見下ろす。 行ってみる。 本丸に残る参道階段を下りる。 階段途中に残る石垣。 神社参道。 石畳が残る。 鳥居の一部。 参道を振り返る。 八幡宮跡。 八幡宮跡から見た、本丸北側櫓台跡。 本丸への階段。 結構石垣残ってるなぁ〜 前回は何処見てたんだろう。 (方位も間違っているかも) 鶏籠山城を後にする。 おっと、こんな所にも石垣。 本丸北側下の曲輪の石垣。 前回は気がつかなかった。 この辺りもあちこちに石垣が見られた。 下山途中最後の石垣。 さようなら、鶏籠山城。 竪堀跡。 遠くに、嘉吉の乱の舞台城山城が見える。 本丸から約10分で両見坂に到着。 ここにも説明板があります。 鳥ヶ撓番所跡。 侍屋敷の蹲い。 先へ進むと、龍野城へ戻る。 夏でも石垣をあちこちに見ることが出来る山城でした。 (おまけ) 本丸直下にあった八幡宮は、現在龍野神社境内に遷座している。
城山八幡宮本殿。 祭神は応神天皇です。 |
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御無沙汰しております。 関東と違って山城にもしっかりとした石垣が残っているんですね、苔むした感じがいい雰囲気でいいですね。
2012/3/11(日) 午後 7:56
黒鍬さん
関西の山城は石垣があるおかげで、往時を偲びやすいので好きです。
2012/3/14(水) 午前 0:36