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場所 京都市上京区安楽小路町425 同志社大学新町キャンパスの北に延びる新町通を少し進むと西側に恵聖院がある。 ここにかつて、持明院という寺院があり、南北朝時代の北朝方の仙洞御所があった。 山門前に碑が建つ。 鎮守府将軍を務めた藤原基頼が邸内に「安楽光院」と呼ばれる持仏堂を創設し、後にこれを「持明院」と名づけたことから、この家系を持明院家と称することとなった。 鎌倉時代、持明院基家の娘陳子(後の北白川院)は守貞親王の妃になり、茂仁親王(後堀河天皇)を生んだ。 承久の乱後、後堀河天皇が即位して、父親の守貞親王には太上天皇の尊号がおくられ、後高倉院と称してここで院政を行った。 続いて後堀河天皇の退位後にもここを御所として院政を行った。 その後も後嵯峨天皇・後深草天皇が退位後の御所に定められたことから、後深草天皇の系統を後に持明院統(北朝)と称し、大覚寺統(南朝)と皇位継承で争った。 持明院は、文和2年(1353)2月に火事で焼失し、以後荒廃して応仁の乱後に光照院が移転したと云う。 説明板。 【光照院門跡】 延文元年(1356)後伏見天皇の皇女進子内親王が室町一条北に天台・禅・律・浄土四宗兼学の道場として、創建。 応仁の乱後、現在地に移転した。 この地にもと持明院殿の持仏堂安楽光院がたっていたため、一時は安楽光院とも称した。 開山以来、代々の皇女が法系を継ぎ、寛政元年(1789)に光格天皇が常磐御所の称号を与えた。 その名にふさわしく、代々の宮お手植えの五葉の松が、書院の庭に繁りあっているのも類を見ない美しさである。 京都市 付近の町名「安楽小路町」は安楽光院に由来。 中を覗いてみる。 非公開の様子。 五葉の松は見れなかった… 明徳3年・元中9年(1392)に、今後皇位は両統迭立とする明徳の和約により、大覚寺にて「譲国の儀」が行われ、南朝の後亀山天皇より北朝の後小松天皇へ神器の引渡しが実施された。 しかし、応永19年(1412)に後小松天皇の後をうけて引き続き北朝の称光天皇が即位。 両統迭立の条件は反故にされる。 南朝方は強く反発し、吉野を中心に復興運動(後南朝)を繰り広げることになる。 |
京都史跡めぐり
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