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登城日 2011年10月10日(月)晴
難易度 ☆
場所 石川県野々市市本町2丁目・住吉町周辺
都会を走り抜けてきた電車にとってかわいそうなくらい窮屈な線路を走る北陸鉄道石川線に乗る。
最寄駅は野々市工大前駅。
駅前に冨樫館跡の碑が建っています。
裏面には、「冨樫氏歴代の居館したところ。冨樫城とも言い、九艘川と新兵衛川を外濠とした区域である。」
と書かれています。
碑が建てられたのは昭和42年(1967)。
その後、冨樫館は約400m南にあることが解かりました。
周辺は住宅地となっていますが、堀跡の一部が発掘されました。
説明板。
【冨樫館跡】
冨樫館跡は鎌倉時代終り頃から成長していった武士団冨樫氏の居館です。
室町時代、冨樫氏は守護に任ぜられ加賀国を治めており、この館を守護所にしたといわれています。
このため中世の野々市は加賀国の政治・経済・文化の中心として栄えました。
近年の発掘調査で堀跡が確認され、この辺り一帯が館跡であることがわかりました。
堀は幅約6m深さ3mのV字型をしており、15世紀を中心とした土器や陶磁器、鏡などが見つかりました。
江戸時代の絵図をみると土塁が四角く取り囲む様子が描かれており、100m四方の広大な屋敷であったと推定されます。
江戸時代の絵図を拡大。
発掘された堀跡。
埋め戻された堀跡。
堀跡を正面から。
堀跡を後にする。
堀跡の延長線上へ行ってみるものの、宅地と畑地が点在するだけで何も解りませんでした。
冨樫館跡の西北に鎮座する布市神社。
布市は野々市の旧名。
由緒書。
冨樫家国が邸内に祠堂を営み三柱の神像を安置したのに始まり、文治5年(1189)9月13日に富樫泰家が住吉三神を祀り併せて先祖忠頼の木像を奉斎して護国神社と称したと伝わる。
冨樫氏先業碑。
碑を拡大。
手水舎。
境内の様子。
力石。
源義経北陸潜行の際、武蔵坊弁慶が投げ飛ばしたとされる力石。
拝殿。
本殿。
冨樫氏第四代冨樫忠頼など九柱を祀る。
境内西側には住吉川が流れる。
布市神社前を通る北国街道を西へ。
街道沿いに建つ喜多家記念館。
加賀藩政期の町屋を伝えるものとして国の重要文化財に指定されている。
最後に野々市町文化会館前に建つ冨樫家国像。
説明板。
【冨樫氏由来之碑】
冨樫氏の始祖は鎮守府将軍藤原利仁であり、曾孫加賀介忠頼が永延元年(987)加賀の国司に任ぜられ、この国に住してその基礎を固め、仁政を施し、その子孫は在庁官人として国務を執った。
野々市の地に初めて居館を構えたのは、平安後期の冨樫介家国の時代という。
以来、冨樫氏は伏見川流域周辺を基礎に勢力を拡げ、加賀の代表的武士団に発展した。
南北朝・室町期には、冨樫介高家らが守護職を歴任し、加賀国の要衝であった野々市に政治支配の拠点である守護所が置かれた。
歌舞伎「勧進帳」で有名な安宅の関守、冨樫左衛門尉は、仁・情のある武将として名高く、郷土の民謡「野々市じょんがら」も冨樫氏の善政を称えて今にうたいつがれている。
長享2年(1488)守護政親は一向一揆によって自害し、泰高が守護の地位についた。
野々市は、中世における加賀の政治・経済・文化の中心地として大いに繁栄し、かつて当地に所在した大乗寺は、冨樫一族の外護により曹洞宗の要地として発展した。
ここに、加賀国の名門冨樫氏の歴史と伝承を顕彰して、当地ゆかりの家国公の銅像を建立し、その歴史的遺産を永く後世に伝えんとするものである。
昭和63年7月吉日
今は隣りの金沢市のベッドタウンとなるも、冨樫氏の栄華が所々に残る野々市でした。
(おまけ)
お決まりのマンホール。
市の花、つばきがデザイン。
ところで、加賀北半国守護だった赤松氏の拠点は何処だったのだろう?
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月の輪殿さん,富樫氏と聞くとやはり安宅関の関守を思い浮かべました(^^ゞ
ここがその富樫氏の館跡ですか.
発掘された堀は見事ですが,埋め戻されてしまうと,まったくそれとは判らないですね〜
日本中には,こうして一見ではわからない館跡が至る所にあるんでしょうね.
WPいきますね!
2012/6/22(金) 午後 11:02
Shaneさん
冨樫氏の居館が不明確なのは残念でした。
赤松氏の拠点が何処だったのかさらに不明でなおさら残念です。
2012/6/23(土) 午後 8:02