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(もどる) 鞍月用水と別れた西外惣構堀は緑地帯を北上。 玉川公園の前。 道路の右側かな? それとも左側かな? 玉川公園は加賀八家「長家」屋敷跡。 玉川図書館の前を通過。 近世史の資料が豊富に揃っているそうです。 近世史料館前の交差点を通過。 和洋折衷。 この辺りは暗渠になっている。 堀上に建つ家。 久しぶりに地上に顔を出した堀。 石垣は往時のものかな? 安江町の交差点の所に升形があった。 説明板。 【西外惣構跡升形遺構】 城を守るために城下を囲んだ堀や土居(土るい)などの防御施設を惣構といいます。 金沢には二重の惣構が造られました。 ここは、港がある宮腰(現在の金石)からの往還道が西外惣構と交差する城下町の入口だった場所で、堀と土居を曲げた方形の区画をもつ施設(升形)が設けられていました。 金沢市では、平成20年12月に金沢城惣構跡を市史跡として指定し、保護と活用を図っています。 升形の立体模式図。 升形全景と遺構推定位置。 アスファルトの塗り分けで何となく判る。 今はここです。 金沢駅前から武蔵ヶ辻へ通ずる大通りと交差。 ここにも説明板があります。 ここから東北へ向きを変え、東本願寺金沢別院に沿って進みます。 極楽橋跡。 【極楽橋と林屋新兵衛】 加賀藩政中、東西両本願寺別院間、即ち東御坊町と西御坊町との間に在った橋を俗に極楽橋と呼んだ。 加賀万歳の「町尽し」に 西と東の両末寺 鐘や太鼓の音聞いて 南無阿彌陀佛忘れずと 極楽橋で安堵した と結んでいる。 当時この極楽橋は金沢城惣構堀の橋で、その惣構組合頭として林屋新兵衛が橋詰に古手、大物煎茶商を営んでいた。 安江町北交差点の所を真っすぐ。
向きを変え、明成小学校前を東へ。 瓢箪町の碑から先は細い道。 この辺りから向きを南東に変え、 彦三町の交差点でまた向きを東へ戻し、 (彦三とは、藩政期この地に居を構えた不破家に由来。) その先でまた向きを南東に変え、 小橋可動堰の東で浅野川に合流。 西外惣構堀の終点です。 今度は西内惣構堀へ向かいます。 中の橋へ。 中の橋。 昔は、橋を渡るごとに一文支払ったことから、別名「一文橋」とも言われた。 泉鏡花「化鳥」の舞台でもあった。 この橋の袂付近が西外惣構堀の起点。 主計町緑水苑として整備されている。 説明板。 その先はNTT西日本金沢別院の裏を進む。 彦三緑地。 西内惣構堀は家々の間を抜けて彦三緑地に突き当り、直角に西へ曲がる。 彦三緑地の前を西へ。 この辺りは道路がそのまま堀跡。 西内惣構堀の碑。 さらに西へ。 小さな神社のある家。 神社の下の石垣は往時のものかな? ここで水路と同じく西内惣構堀も南へ曲がる。 変なビルの前を通り、 カナカン本社を突っ切って、 市媛神社の裏から西側を通って、 近江町市場へ。 入り口東側のむさしビルの建つ位置が堀跡。 近江町市場は堀跡の上にある。 近江町市場を出た所。 付近の町名「西町藪の内通」の「藪の内」は土居に由来。 附近の段差は惣構の名残だろうか。 鍵曲りの堀跡。 その先の石川県文教会館は盲・ろう学校創立の地。 碑が建つ。 碑の上部の創立時の校舎図面に堀跡が描かれていた。 往時の石垣かな? 尾山神社門前の堀跡の遺構。 ここにも説明板。 道路側が堀跡。 向きを東へ変える。 神社の南側に残る石垣。 金沢城を目指す。 奥の石垣も遺構かな? 金沢城玉泉院丸跡に到達。 ここが西内惣構堀の終点。 尾山神社に寄って、今度は東内惣構堀へ向かいました。 (つづく) |
日本100名城スタンプラリー
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