|
場所 兵庫県加古川市上荘町井ノ口
公共交通機関で行く人は、JR加古川駅から神姫バス都台行きに乗り「都台口」下車東へ約1km。
車で行く人はみとろフルーツパークを目指すと良い。
まずは、みとろフルーツパークにある加古川ウォーキングセンターで情報収集。
たぶんこれのことではないかと、教えてくれたのが「都染の清水」。
みとろフルーツパークを下った所だった。
しかし、付近へ着いたものの何処か解からない。
ご近所の方に聞いて見ると、畑の中にある繁みが井ノ口清水という。
2つある繁みの内、下段のお墓が建ち並ぶ方では無く、
上段の方だそうです。
かつては説明板も建っていたが、いつしか無くなってしまったとか。
水は枯れ、石の井戸枠だけが残っていると教えてくれましたが、草茫々で確認出来ませんでした。
【井ノ口清水】
今から1200年ほど前、元明天皇は奈良に都を定められ、新しい国づくりに取りかかられました。
天皇は女帝でありましたから、官衣のつくり方についてもいろいろと心をくだかれましたが、官衣の染色になって困ってしまいました。
それは思いどおりに藍色が出ないのです。
そんなとき「播磨の国、印南の堤というところに、たいへん良い水が出る場所がある。」という神のお告げを聞かれました。
さっそく、天皇の命をうけた家来が播磨の国の教えられたところへやってきました。
すると山のふもとに、清水の湧き出ているところがありました。
その清水を都へ持ち帰り衣を染めてみますと、あざやかな色に染めあがりました。
天皇はたいへんおよろこびになり、
「あいにあう 井の口の清水なかりせば 都の衣 いかに染めなん」
と歌われました。
”都染”の地名は”都染(みやこぞめ)”からきているといわれています。
都染には、それ以後、染物を家業とする家が出来て、江戸時代末期まで続き今も「形屋」とか「紺屋」という屋号が残っていて、その家には染物に使った形紙や壺があるということです。
また飲めなかった 
井ノ口清水を後にしました。
|