三日月の館

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三木城へは、JR神戸駅近くの新開地駅から神戸電鉄の乗って行きます。
約50分乗って、最寄駅三木上の丸駅下車。
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駅は本丸北側直下に位置する。
駅名は上の丸だが三の丸に位置する。
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東西両側から本丸へ行けますが、やはり東側から向かうこととしました。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e7/31/kanezane/folder/1510034/img_1510034_61661873_25?1376403185_
線路を潜りナメラ商店街へ。
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すぐに三木城への階段。
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階段を登れば本丸ですが、ちょっと寄り道。
シャッター通りのナメラ商店街。
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ナメラは「滑原」と書き石列が出土。
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説明板。
この辺りは中嶋丸と呼ばれていた。
三木城落城後にはこの辺りは家臣の屋敷が建ち並んだとか。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e7/31/kanezane/folder/1510034/img_1510034_61661873_26?1376403731_
商店街付近図には殿町と書かれている。
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想像図。
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滑原から見た三木城本丸。
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中嶋丸の別所長治。
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三木城の西北を流れる美嚢川を渡ってみる。
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対岸から見た三木城。
台地の先端に位置する堅城。
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白いコンクリート壁は別所長治公400年を記念して造られた。
往時はこんな壁ではなかったはず。
しかし、今ではすっかり三木城跡のシンボルになっている。
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それでは、城山橋を渡って三木城本丸へ向かいましょう!
ナメラ商店街からの登城道は、先程ご紹介した階段と、本丸に鎮座する上の丸稲荷神社参道の階段と、
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本丸と二の丸との間の空堀跡の道がある。
この辺りは水門口跡。
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やはり、最初の線路寄りの急階段を登る。
途中で本丸を見る。
こんな絶壁ではなく腰曲輪があったらしいが、コンクリートで固められて往時を偲べなくなった。
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城下を見下ろす。
高い…
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本丸到着!
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登って右手に説明板。
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【三木城址】

三木城は、室町時代の15世紀後半に別所則治によって築かれ、以後別所氏の居城となりました。
天文7〜8年(1538〜1539)に山陰の戦国大名尼子詮久(晴久)、天文23年(1544)には三好長逸や三田の有馬氏に攻められましたが、落城は免れています。
天正6年(1578)5代目城主別所長治のとき。織田信長の家臣羽柴(豊臣)秀吉の軍に包囲され、1年8ヶ月に及ぶ兵糧攻めに遭い、天正8年(1580)1月17日、城主一族は領民の命を救うために自刃して三木城を開城しました。
その後は、羽柴秀吉はじめ家臣の杉原氏・中川氏などが城主として次々と入れ替わりました。
江戸時代になって、元和2年(1616)小笠原忠真を領主とする明石藩に編入され、元和3年(1617)に幕府による一国一城令により廃城となりました。
このとき、三木城の資材は明石城の建築部材に使用されたと伝えられています。
当時の城の規模は、本丸(上の丸公園)、二の丸(図書館・美術館周辺)、新城・鷹ノ尾城(市役所周辺)などからなり、東播磨随一の要害でした。
また南に位置する雲龍寺周辺も三木城の一角であったと考えられています。
この雲龍寺には別所長治夫婦の首塚があり、毎年1月17日の命日には、長治公を偲んで法要がおこなわれ、兵糧攻めによる飢えから、籠城した兵士が壁土の藁を食べたという言い伝えに習って藁に見立てたうどんが振舞われます。

本丸・二の丸現況略図。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e7/31/kanezane/folder/1510034/img_1510034_61661873_27?1376572392_
階段を登った所にかんかん井戸。
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説明板。
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かんかん井戸から伝天守台を見る。
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伝天守台北側にその1でご紹介した三木合戦図。
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脇に三木城想像図と説明。
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想像図を拡大。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e7/31/kanezane/folder/1510034/img_1510034_61661873_28?1376576380_
伝天守台へ。
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伝天守台の様子。
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伝天守台中央に建つ別所長治辞世の句の石碑。
「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば 」
心に沁みますね〰
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脇に別所家一族の辞世の碑。
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伝天守台から城下を見下ろす。
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伝天守台から本丸を見下ろす。
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かつてはこんな天守閣が建っていたのだろうか。
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伝天守台を下りる。
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伝天守台南側に設置された別所長治石像。
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本丸南側に鎮座する上の丸稲荷神社。
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本丸中央にも土壇。
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土壇に建つ忠魂碑。
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忠魂碑の根元に残し石。
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本丸東側に位置する上の丸保育所。
この辺りに御殿があったらしい。
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そして、伝天守台は櫓台で、上の丸保育所の北側、別館が建つ辺りに天守があったと記されている縄張図もある。
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天守閣は本丸北東隅にあったのか。
北東隅の場合、有馬へ通じる湯の山街道を見下ろせる。天守があったとされる辺り。
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本丸東側、御殿があった辺りを見上げる。
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ここから北へ下りて行くと三の丸。
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三の丸跡にある本町1丁目交差点。
ここから北へ向かうと二位谷川に架かる大手橋がある。
大手橋から少し西へ行った辺りに大手門があったらしい。
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本丸へ戻る。
本丸の南端に鳥居。
この辺りも御殿跡。
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階段を登ると金物資料館。
三木城の資料が少しあったはず。
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三木合戦後、羽柴秀吉は焼け野原となった三木の町の復興を考え、免税政策をとって四方に散らばった人びとの呼び戻しを図りました。
復興のために集まった大工職人、その道具を作る鍛冶職人が次第に増え、三木の町は活気づいたものの、復興が一段落すると大工の仕事がなくなってしまったため、大工職人たちはやむなく京都、大阪などへ出稼ぎに行くようになった。
そのときに大工が持参した道具の素晴らしさが評判になり、三木は「金物の町」として有名になったと云う。
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金物資料館を避けるように、参道は西へ。
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金物資料館の西隣に金物神社。
昭和10年(1935)創建。
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金物神社の西側に上の丸稲荷神社が鎮座。
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稲荷神社の社殿前に天守閣復元図と別所治定奮戦図がある。
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本丸を南から見る。
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今度は二の丸(南構)へ向かいます。
つづく

閉じる コメント(2)

月の輪殿さん,三木城は壮絶な籠城戦の事が頭をよぎります.
美嚢川の対岸から撮った三木城址の写真,いいですね〜

神戸電鉄の廃止が検討されているようで,そうなると行き難くなってしまいます…

2013/9/8(日) 午前 9:38 Shane

Shaneさん
廃止は阻止したいです。
バスはどうも…

2013/9/16(月) 午後 9:41 月の輪殿


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