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(もどる) 本丸・二の丸現況略図をもう一度。
下って行くとナメラ商店街。 水門口があったらしい。 二の丸跡の釜城館。 三木城は別名「釜山城」と呼ばれる。 古い建物は、昭和17年(1942)に建てられた旧三木実科高等女学校校舎。 埋蔵文化財を展示しているそうです。 二の丸跡には他に、図書館と堀光美術館がある。 この場所から倉庫跡が発見され、21個の備前焼の大甕が発掘された。 発掘された大甕の復元品が図書館に展示されている。 二の丸を後にする。 二の丸から本丸南端を見る。 坂を下りていくと、三の丸から大手門跡へとつづく道。 二の丸から東へ向かう。 窪んでいる地形がある。 沼があったらしい。 段差のある地形。 道が二又に。 ここから東が新城かな。 そしてこの辺りに矢倉があったのかも。 新城は別所吉親の居館があった所で、昭和35年(1960)までは土塁や堀が残っていたらしいが、宅地化で消滅。 昭和30年の現況図。 (「探訪三木合戦」三木市観光協会著より) 空堀跡かな。 新城の東にあった東の丸跡。 東の丸の東側。 空堀があるような無いような… 東の丸から南を見る。 正面に見えるのは三木市役所。 東の丸東側の坂道。 東の丸のさらに東側に平山丸があった。 現在、平山丸は神戸電鉄の切通しで分断されている。 平山丸の北側には正入寺が建てられている。 説明板。 平山丸には別所治定の居館があったらしい。 この図だと、本丸南側の二の丸が西の丸となっており、二の丸は新城や東の丸の南にあったことになっている。 左から、伊木忠繁の母、伊木忠繁、池田利隆。 伊木忠繁は姫路城主池田家の筆頭家老で、三木城最後の城主。 平山丸から三の丸を見下ろす。 遠くの繁みは本丸。 平山丸の東端。 矢倉があった辺り。 三木城の東端を流れる二位谷川。 南へ登って行くと文化会館に突きあたる。 この辺りは馬場。 馬場の中心に市役所。 市役所は三木城を模した外観で「平成三木城」とも。 しかし、そう見えないのですが… 市役所北側の駐車場から西側にかけて、二の丸と表記されている曲輪があった。 堀跡かな。 堀跡?の西側の池。 池から西を見下ろす。 この堀跡と思われる東西のライン上は建物が少ない。 本丸の南、二の丸(南構または西の丸)の南側付近。 南へ行くと雲龍寺。 黒門跡。 山門。 説明板。 本堂。 当時からこの場所にあった。 ここも三木城内。 境内の南側にある別所長治夫妻の首塚。 拝殿脇の石碑に由緒記があるが、掠れて読み難い。 よって、拝殿上部の由緒記の方が比較的読み易い。 首塚。 落城後、安土に運ばれた別所長治の首を当寺七世安室春泰和尚が安土から持ち帰り、照子夫人と共に寺内に埋葬し弔ったと云う。 毎年1月17日には、籠城時に飢えから城内の藁まで食べたとの言い伝えに由来し、藁に見立てた「うどん」を食べて当時を偲ぶ会が行われている。 首塚の西側に建つ由緒記。 この石垣は、三木城外堀にあった石垣を使用。 雲龍寺北側の堀跡から鷹の尾城を見る。 最後に三木城の南側へ向かいます。 (つづく) |
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