三日月の館

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登城日 1回目 2000年頃 晴
      2回目 2011年 4月17日(日)晴
難易度 ☆
場所   兵庫県養父市八鹿町八木

三木合戦後の別所氏の居城

石垣の城と土の城の2つがあり、共に国指定史跡です。

詳しい地図で見る

但馬八木城は、JR山陰本線八鹿駅から西約7kmの所にあります。
村岡・鉢伏方面行きの全但バスに乗り下八木バス停下車。
国道9号(山陰道)の信号のある交差点に「史跡 八木城址」の標識があります。
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標識のある交差点に石碑。
「鎌倉時代」と書いてある。
但馬朝倉城主朝倉高清(越前朝倉氏の祖先)が、承久3年(1221)に次男重清に八木を分け与えたのが八木氏の始まりと云う。
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3つある登山口のうちの一つ、下八木登山道を登って行きます。
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登ってすぐに説明板があります。
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説明板
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【但馬・八木城】

八木城跡
八木町の背後にある西から東に延びる細い尾根上には、八木城と八木土城の2つの山城があり、南北朝時代(1333〜1392)のはじまりという。
八木城は、標高330mの城山に造られた山城で、南北260m東西340mに広がる大規模なものである。
本丸には、山石を荒割りした石材で9.3mの高い石垣を積んで防御の要とし、文禄年間(1592〜1596)の構築と推定される穴太流の城郭石垣を造っている。
さらに本丸には天守台や矢倉台、石塁を築いており優れた技術を見ることができる。
縄張をみると、尾根を平坦にした曲輪を造り、東に6段、南に5段、北に3段というように山全体に城郭を配置している。
八木城は、戦国時代の八木氏の本城であり、また別所氏が改修した豊臣時代の城郭である。
八木城は、1万5千石の八木藩の貴重なシンボルであり、八木町は初期城下町として貴重な町並みを伝えている。

八鹿町観光協会

八木城の石碑。
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【但馬八木城址之碑】

八木城は南北朝時代に始まる八木氏の山城で、標高330mの城山にあり、 本丸には高さ9.3mの穴太流の石垣が残る。
八木氏は室町時代に但馬守護の山名氏に属して活躍し、四天王の一人に数えられた。
八木氏第15代の八木城主は八木但馬守豊信であったが、天正5年から8年にかけて、秀吉の弟羽柴秀長に攻められて落城する。
天正13年(1585)豊臣秀吉から別所重棟が八木城主に任命され、別所吉治と続くが、慶長6年に丹波に写され廃城となる。

平成4年4月吉日
八木城址保存会

八木城歴史の森説明板。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/e7/31/kanezane/folder/1510034/img_1510034_61661873_38?1383568654_

少し登って、矢印の所を…
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曲がる。
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獣除けの金網4本を外して中へ。
「熊出没注意」の看板。
ひぇ〰
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入ったら金網を元に戻しましょう!
もう後へは引けません。
前進あるのみです。
ここでポストの中のノートに登山記録を書き込み、パンフレットを貰う。
パンフレットは縄張図つきなので必ず貰うこと。
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急いで進む。
クズ草原(群落)。
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ネザサ草原(群落)。
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スギ・ヒノキ林(群落)。
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約10分登ってあと650m地点。
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石積みかな?
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石積みだった。
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約30分登ってアベマキ・コナラ林の中にあるあずまや。
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中八木登山道との合流地点。
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ここからは竹林の中を進む。
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上八木登山道との合流地点。
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約35分で八木城跡に到着!
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まず、八木石城縄張図。
(「ひょうごの城紀行上巻」より)
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八木石城想像図。
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東端の秋葉さん。
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秋葉さん上の曲輪。
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秋葉さん上の曲輪から三ツ顔さんのある曲輪(三の丸)を見る。
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三ツ顔さん。
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三ツ顔さんから見下ろす。
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三ツ顔さんから三の丸を見る。
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三の丸の西端。
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三の丸の碑。
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上の曲輪から三の丸を見下ろす。
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先へ進む。
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もう一段上の曲輪が二の丸。
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二の丸の碑。
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今来た曲輪を振り返る。
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二の丸斜面に石積み?
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動いた!
(腰抜かしそうだった
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また石仏。
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卒塔婆。
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二の丸から本丸枡形虎口の櫓台石垣を見る。
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南西から算木積み石垣を見る。
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近づいてみる。
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本丸南西面高石垣を見る。
素晴らしい!
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誰か登ってたのかな?
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高くて立派ですね〰
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虎口へ戻る。
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二の丸を見下ろす。
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本丸。
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本丸から八木土城へ向かいます。
本丸枡形虎口。
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脇に説明板。
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【八木城の概要】

鎌倉時代初期八鹿町朝倉に住し豪勇世に聞こえた朝倉高清が、この西方の峯に築かれていた土城の城主閉伊十郎行光と戦い勝利をした後、三男重清を初代城主に置いたのが八木城の始まりといわれます。
以来豊信まで15代およそ400年にわたり一大勢力を保持しました。
南北朝時代、関東から但馬に入り出石を本拠として全国にその名を覇せた山名氏の傘下に入り、代々山名四天王の一人として重きをなしました。
戦国時代、織田信長の命を受け中国の毛利攻略に向かった羽柴秀吉は、姫路城を拠点として先ず毛利勢の及ぶ播磨・但馬を平定しましたが、八木城も武運つたなく落城しました。
時、天正8年(1580)3月であったといわれます。
15代豊信を最後に八木城はここで終わりを告げました。
天正13年(1585)秀吉の配下であった別所重棟が新たに八木城に入り、子吉治の2二代わずか15五年の間在城しました。
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いに西軍に属した吉治は敗戦で所領を没収されましたが、徳川家に仕える春日の局が伯母にあたるよしみをもって許され、翌年丹波北由良城へ移封されました。
それ以来八木城は廃城となり400年にわたる長い歴史に幕を下ろしました。
八木氏は廃城後徳川家に仕え、その直系は東京に在住、現在に至っております。

八木城址保存会

本丸跡の碑。
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本丸南西面高石垣上部に石塁。
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石塁。
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石塁上部から天守台方向を見る。
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天守台へ。
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また石仏。
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石仏の後方が一段高くなっている。
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さらに奥にもう一段高くなっている所が天守台。
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天守台から本丸を見る。
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天守台から本丸南西側を見る。
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天守台から本丸北側を見る。
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天守台から下って、振り返る。
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石垣はしのぎ積み。
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本丸北面に残る石垣。
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さらに500m奥に八木土城。
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八木土城へ向かいます。
つづく

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