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(もどる) 田辺城城郭復元図。 寛文8年(1668)に牧野氏が入城し明治維新に至る。 この辺りは本丸と二の丸の境。 土居で仕切られていたようだ。 南を見る。 本丸側の遊具。 城跡にふさわしい… 西を見る。 本丸との間に内堀があった。 北を見る。 本丸東側の石垣との間に門があったようだ。 二の丸跡にある心種園。 細川幽斎が詠んだ、「いにしへも 今もかはらぬ世の中に 心の種を残す言の葉」という和歌に因む。 細川幽斎が古今伝授書を伝えた場所と云う。 説明板。 ここには虎口がなかったので一部積み直しがあるようだ。 公園側の石列は往時のものっぽくない。 出土したものを積み直したものだろうか? 東側は往時のものだろう。 手前に二の丸堀があった。 南(西舞鶴駅方面)を見る。 JR舞鶴線と道路は二の丸堀のあった所。 二の丸東側の折れが所々道路にはみ出しています。 引っ込んで、 またはみ出して、 引っ込んで。 線路の反対側へ行ってみると石列。 右側が三の丸。 線路側が二の丸堀。 二の丸堀跡の水路に沿って南へ行くと、県道28号線と交差。 県道を東へ行った東田辺交差点付近に大内門があった。 県道の南側も二の丸堀跡の水路が続く。 戻って、今度は北側へ。 線路を跨ぐ二の丸堀跡の水路。 北側へも水路が大手門跡付近まで続く。 海舞鶴線廃線跡。 先へ行くと三の丸堀(外堀)を辿れたりするが… 今日は行かない。 舞鶴公園へ戻る。 心種園から本丸東側石垣を見る。 手前の池は内堀跡。 本丸北東隅。 本丸北側へ。 本丸北側の石垣。 手前は内堀だった。 彰古館。 彰古館と城門。 舞鶴公園を後にする。 二の丸を西へ。 明倫小学校は藩校明倫館があった所で、門が現存。 説明板。 うの森神社へ。 境内の様子。 説明板。 駐車場は二の丸堀だった。 北へ。 明倫小学校のグランドに石がごろごろ。 出土した石垣だろうか? 明倫緑地。 この辺りに京極・牧野時代の大手門があった。 移築城門を見に西へ。 田辺大橋を渡る。 手前の石垣は見附でもあった跡だろうか? 高野川を渡る 高野川に架かる橋はここだけだったので、田辺籠城戦の時は激戦が行われた。 渡って北へ行った所にある瑞光寺。 山門は黒金門を移築したものと云う。 (黒鉄門ではなく黒金門。何処にあったのですかね?) ここから西へ行った所にある見海寺。 ここの山門も移築城門と伝わる。 再び田辺大橋を渡って駅へ戻る。 但馬竹田城主赤松広英は西軍に参加し、田辺城包囲軍に加わる。 田辺籠城戦の図。 東南に赤松左衛門の表記。 解りやすく。 (藤原惺窩とも親交があったほどの文化人だったのに… 地理的に時流が読めなかったのかな。) (おまけ) 舞鶴はかまぼこの街であります。
西舞鶴駅前の高速バス待合所に「かまぼこ知ろう館」が併設。 かまぼこの製法や、 かまぼこの歴史が学べます。 かまぼこを作る石うす。 舞鶴かまぼこの数々。 また、舞鶴は肉じゃが発祥地らしい。 舞鶴鎮守府司令長官として赴任した東郷平八郎が、ビーフシチューの味が忘れられずに作らせたものの、ソースが解らなかったので醤油と砂糖で作ったのが「肉じゃが」だったとか。 |
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細かいところまでの紹介、さすがですね☆
しかし舞鶴がかまぼこの街だったとは…意外。
2014/1/18(土) 午前 7:59
るなさん
かまぼこと言えば「小田原」ですね。
舞鶴のかまぼこは食べたことが無いです。
2014/1/22(水) 午後 11:17