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登城日 1回目 1990年頃 晴
2回目 2011年11月13日(日)晴
難易度 ☆☆
場所 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野
鹿野城の最寄駅は、JR山陰本線浜村駅。
気高循環バスに乗り鹿野総合支所前下車。
城下町鹿野観光案内図で鹿野城の場所を確認。
まず南下。
古い町並みが残る。
左折して東へ向かう。
城下町の中心付近にある幸盛寺へ。
山門。
杉原土居という付城跡に建つ本堂。
樹齢400年の大銀杏。
境内には山中鹿之助の墓があります。
説明板。
ここからまた南下。
大平石と神輿倉。
説明板。
駐車場にまた城下町案内板。
こちらの方が詳しい。
鹿野城が見えてきました。
説明板。
【鹿野城】
1578年羽柴秀吉が亀井茲矩等を先駆として、毛利氏の支城となっていた鹿野城を攻めおとし、羽柴軍山陰攻めの前線基地の役割を持ちました。
亀井茲矩は鹿野城を城番を命ぜられ、翌年の秀吉の再出陣までの間、鹿野城を守るのみでなく、近くの諸城を攻め落し、これらの功により城主に任命されました。
関ヶ原の戦いの後、世の中がおちつくと、茲矩は城の大拡張を行ないました。
古い鹿野城は山頂に近い部分だけの山城でしたが、山麓を中心に本丸、周囲に薬研堀、内堀、その外側に外堀をつくり近世の城として面目を一新しました。
その一方でまえからの山城を整備しました。
城は、仏教思想にもとづく「王舎城」の名が、また、櫓には南蛮貿易を物語る「朝鮮櫓」「オランダ櫓」の名が残っている。
王舎城図。
外堀と二の丸を西から見る。
二の丸西側ヤグラ台と橋。
二の丸は現在鹿野中学校の敷地となっています。
(写真は堀の西側にあった旧鹿野小学校でした)
橋から内堀と本丸を見る。
左側の高くなっている所は西物見です。
原田輝子彰效之碑。
説明板。
内堀。
奥を望遠で。
説明碑。
【鹿野城堀】
鹿野城の創建年代は不明だが、国侍志加奴氏の居城と伝えられる。
天正9年、鹿野城主となった亀井茲矩によって、内外二重の堀姿に拡張された。
元和3年、亀井氏が津和野に移封された後は、因州藩の支配下におかれ石垣も破却されていくが、寛永17年、鹿野に配流された播州山崎城主池田輝澄(石入公)は殖産に意を注ぎ宿村(現気高町宿)の荒地を開拓、城堀の水をひき実り豊かな水田とした。
平成4年9月、鹿野町は気高町宿から堀を譲り受けたのを皮切りに多くの城堀周辺土地所有者の理解を得、公園整備事業に着手した。
現在見える石垣等は、一部残存していた当時の石垣の崩壊をさけるため、その外側に新たに築いたものであり、当時の石垣の面影は内堀南西部などに見ることができる。
平成8年3月
鹿野町
鹿野苑へ。
説明板。
亀井茲矩と李舜臣について書いてあるようだが…
読めない。
鹿野城下町鳥瞰図。
城山案内図。
登る。
稲荷社。
城趾の由来。
登って行く。
途中に六角堂。
その上に水道施設。
朝鮮櫓やオランダ櫓があった辺りだろうか。
さらに登って行く。
西の丸御殿跡。
説明板。
図を拡大。
曲輪の奥の様子。
登城道へ戻る。
さらに登って行く。
この石垣は後世のものだろう。
廃墟のような展望台。
見晴らしは良くない。
木々の隙間から遠くに日本海が見えた。
城山神社へ。
城山神社。
説明板。
獅子舞説明板。
さらに登って行く。
天守台まであと少し。
麓から約10分で天守台到着!
天守台へ登る。
天守台上部。
礎石が残る。
説明板。
天守台から城下を見下ろす。
背後の鷲峰山を望む。
中世の古城が眠っているとか。
天守台付近の残存石垣。
下りる。
帰りによく見たら石垣があった。
この石垣も往時のものかな。
西物見。
本丸。
本丸から西物見を見る。
側面の石垣。
本丸から天守台を見上げる。
本丸東側。
薬研堀。
別角度。
天守台を見上げる。
東物見へ。
東物見。
残存石垣。
内堀を東から見る。
二の丸東側ヤグラ台。
外堀。
外堀を東から見る。
鹿野城さようなら。
かつてはハイカラな城だったようだが、駅から遠く離れ寂れた感じの鹿野城でした。
(おまけ)
城の北西約3kmの所に亀井茲矩の墓所があります。
説明板。
亀井茲矩の墓。
こちらも忘れ去られたような寂しい感じでしたが、亀井家移封先の津和野にもあるそうです。
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