三日月の館

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場所 兵庫県たつの市揖西町清水

播磨十水

今も一定量湧き出ているという。

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JR本竜野駅前からたつの市コミュニティバス揖西ルートに乗り、保田森口下車が唯一の公共交通手段。
しかし、月水金に数本しか走っていない。
駅から歩いて約1時間ちょっと。
田んぼの真ん中に建つ式内祝田神社の大鳥居を目指す。
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鳥居の袂付近に小柳の清水への案内標識があります。
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西へ80m進んだ所にある小柳清水。
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説明板。
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【小柳の清水】

小柳の清水は播磨十水の一つである。
播磨国風土記(奈良時代)には、当時この地方は出水の里と記されている。
室町時代後期、播磨守護赤松義村が播磨の国から十箇所の清水を選定した、これが播磨十水である。
江戸時代の地誌、播磨、鑑播磨古跡考に
「ききふりし 平井の里の 清水をば 誰が名づけん 小屋なきの水」
竹號と記されている。
渇水時豊水時にかかわりなく一定の量が湧き出る。

小柳の清水の碑。
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小柳の清水を覗いてみる。
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こんな狭い中に魚やザリガニがいた。
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かつての名水も今は飲めないようだ。
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小柳清水を後にしました。

場所 兵庫県たつの市新宮町佐野

播磨十水

揖東郡佐野村にあったと云う。

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揖東郡佐野村、二条家の領地…
この2つのキーワードから推測するにここではないかと思い行ってみた。
以前ご紹介した城山城
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東麓に佐野という地名がある。
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説明板。
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【地名の由来】

狭野村 いまは佐野と書くのですが『風土記』には狭野村(さぬのむら)とあり、それによって村の名が説明されています。
これによると狭野村のあたりは、別君玉手(わけのきみたまて)の一族によって支配されていたというのですが、別君という氏族は、日本武尊の子オトヒコ王より出た皇別氏族で、もと河内国泉郡(のちに和泉国となる)を本拠としていました。
神功皇后に従って三韓征伐にも加わり、のち吉備国で叛いた忍熊王を討った功によって吉備の藤野県を与えられ、備前国西部の和気郡を領し和気氏を称したといいます。
和気清麿も、この氏族の出身ですが、この別君のひとつのわかれが播磨国に住みついたとみられ、狭野村の伝説も単なる地名説話だけとは思えないようです。

この辺りは中世では越部庄という荘園があり、藤原俊成の領地だった。
実際、俊成の孫で歌人として名が知れる藤原俊成女が晩年に移り住み、市之保に墓が残る。
地元では「てんかさん」と呼ばれ、知恵の神様として信仰を集めている。
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そして、この藤原俊成の子孫に二条家(五摂家の二条家とは別、古今伝授の家筋)がある。
ということは、やはりここかなと思い、探してみるも花垣清水は無い。
一旦因幡街道を北上し、播磨新宮駅の北にあるたつの市立埋蔵文化財センターへ行き情報収集。
そこで「播磨新宮ふるさと散歩」という本を購入。
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この本によると、佐野に花垣清水らしい遺構は無く、市野保にあるお玉の清水ではないかとの説があると書いてあった。
よって、行ってみる。
お玉の清水は、田んぼの真ん中にある。
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農道からの入り口。
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お玉の清水の東屋。
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説明板。
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【お玉の清水】

「お玉の清水」については、いつの頃からこのように呼ばれたのかは不明ですが、鎌倉時代の女流歌人として有名な越部禅尼に縁のある榊原家(市野保)が所蔵している『越部君本書』(文化14年:1817)によりますと、歌人として名高い藤原俊成の孫娘で藤原定家の姪にあたる越部禅尼が、晩年に都より所領の越部上荘へ移り住んだ時に付き従ってきた待女たちが化粧の水として使ったと記されています。
この清水の東方には、因幡街道が通過しており、澄んだ冷たい清水は歩いて旅した昔の人達にとって、正に「玉露」の味わいがあったことでしょう。

平成6年4月 市野保自治会

そして、これがお玉の清水。
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玉露のような味わいだったと云う。
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脇には井戸がある。
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汲んでみたら冷たかった。
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やはり、飲む気はしなかった。
(たつの市の調査では水質基準に適合しているらしい。)
ここが花垣清水だったかどうか解からなかったが、この辺りにあったのだろう…
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ということで、新宮町を後にしました。

場所 兵庫県たつの市御津町黒崎

播磨十水

蛤(はまぐり)水ともいわれる名水です。

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山電網干駅前から神姫バス大浦行きに乗り「苅屋西口」下車。
南西方向へ歩いて行く。
(以前ご紹介した龍門寺の西に位置します)
富嶋神社から富島川を渡った所に標識があります。
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案内標識の沿って南へ曲がる。
田んぼの中の道を歩く。
正面の山には、赤松円心が挙兵した際、甥の萩原孫四朗敦則に守らせた武山城があったとか。
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武山の西麓に篠井乃水があります。
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説明板。
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播磨十水の一
名水【篠井乃水】

1.往古の昔より岩の隙間から湧出る水は蛤水とも言われ、甘味を持つ。
  自然の良水たり、また長寿の霊泉とも伝えられる。
1.文亀3年(1503)頃、播磨ノ国の守護職であった置塩城主赤松義村が播磨十水を定めし折、其の一つに加えたとされる。
         (播磨名所巡覧図絵より)
1.当地武山城主であった有田肥前守朝則が「篠井乃水」を称えた歌が伝え残されている。
  いにしへも 偲ふおもひを 汲みてしる
   深き篠井の 清水つきせぬ 
         (地誌 播磨鑑より)
1.昭和60年10月8日、御津町指定文化材となる。

御津町教育委員会

まずは篠井長寿地蔵様にご挨拶。
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篠井乃水へ。
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石碑。
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中の様子。
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ここにも歌碑。
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中を覗いて見ると…
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カニがいた。
飲めるのかな?
篠井乃水を後にする。
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甘味のある蛤味ってどんな味だろう?

場所 兵庫県姫路市飾東町山崎

播磨十水

姫路市内で唯一飲める湧き水という。

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JR姫路駅前から神姫バス社行きまたは姫路セントラルパーク行きに乗り「清水」下車。
バス停名から苔の清水が近くにあると思いがちだが、天川を渡った山陽自動車道が通る山裾にある。
イメージ 1

バス停から東へ進み、サンクスが角にある三差路(北へ行くと姫路セントラルパーク)を東へ少し進み、消防署飾東出張所の所を右折、天川を渡ってすぐ左折。
川沿いをしばらく進むと山裾に苔の清水があります。
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説明板。
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【苔の清水】

 苔の井の苔むすまでもつきぬ水
  ながきや命かけて頼まん
               竹渓阿彌

 『播磨鑑』に「星田庄山崎村ノ内二星田苔清水ト云有」と記し、また、『播州名所巡覧絵図』には「庄村のほとりにあり。十水の其一にして、星田の庄也。水寒にして夏日にも下流に魚なし。」と記載されており、播磨十水の一つで水は甚だ冷たかったことが分かる。
 今も年中こんこんと清水が湧き出て決して絶える事はない。

【苔の地蔵】

 堂内には数体の石仏があるが、もともとは二体で古くから苔の地蔵と呼ばれてきた。
ただ、設置年代等が未詳である。
 中央の一番大きな地蔵は乳が出ないとか、多過ぎて困る婦人に霊験があり、かつては参詣者が絶えなかったという。
 向って左の地蔵は首がない。
そのいわれは、昔西国の武士が上洛の途中、ここで百姓に道を尋ねたが、返事がないのでその場に斬り捨てた。
すると急に腹痛をおこし、とある老婆に「この清水は何ににもよくきく。」と言う話を聞いて、武士は苔の清水の水を飲み、その地蔵堂内い休んでいたが、痛みは益々激しくなり慈悲深い地蔵尊の笑みまでがせせら笑っているように見えて、その場を立ち去ろうとするが、今度は足腰がたたなくなり、やがて夕暮れが迫り、夜が更けるとともに異様な音がし、背面の谷から大蛇が出て来て一呑みにしてしまったという。
その後いつともなくこの清水の湧き出る谷を蛇ヶ谷(じゃがたに)と呼ぶようになったという。
(ひめじ明治のかたりべ集参考)

平成10年8月
姫路市教育委員会

登ると苔の地蔵と蛇ヶ谷がある。
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お地蔵様。
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境内には土俵があった。
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奥の蛇ヶ谷から湧き出る苔の清水。
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本当に飲めるのかな?
冷たいのかな?
確認もせず苔の清水を後にしました。
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魚も住まない苔の清水、
何か伝説が怖かったので…

(おまけ)

苔の清水の北方の山麓にある八王子神社。
(姫路セントラルパークへ行く道の両側にあるが、東側の方)
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ここに姫路城の移築門が現存、
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しているハズなんですが…
どこへ行ったのかな?
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説明板はある。
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【八王子神社と神門】

八王子神社は、古くは八王子若王子権現とよばれ、八王子若王子神などを祭神とする。
神門は、高麗門とよばれる構造形式で、欅材の本柱(鏡柱)と控え柱が各2本あり、本柱の上に横木(冠木)をわたし、腕木によって軒桁をささえ、これに切妻の屋根を置く。
本柱と控柱は貫でつなぎ本柱筋の屋根に対して、直角に切妻の瓦葺き小屋根を架けた構造になっている。
この神門はもと姫路城の城門で、明治初年に現在の地に移されたものだといわれている。

姫路市教育委員会
姫路市文化財保護協会

境内を見渡しても何処にも無い。
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すると、境内にいた近所の方が、
「ずっと補修をしていなかったんで、倒壊しそうになったので取り壊してしまった。
 ちゃんと手入れしておけば良かったのだが…」
と、申し訳なさそうに教えてくれました。
えー、壊しちゃったの?
壊したのはつい最近のことらしい。
姫路城内にあれば国の重要文化財に指定されているはず。
国も姫路市も何やっているんだろう

場所 兵庫県姫路市本町68番地

播磨十水

姫路城内のぎふ町にあったと云う。

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姫路市坂田町5にある善導寺。
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寛仁元年(1017)誓忍阿闍梨開基の浄土宗西山禅林寺派の寺。
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山門脇に「梛古刹」の碑。
元は梛本の地にあって梛寺と呼ばれていた。
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この梛本が何処にあったかというと、『播磨国衙巡行考証』(『播陽万宝智恵袋』巻15収録)は「梛本 小野江清水の辺、歌あり、惣社本殿の旧地(今小野江清水は方三間斗残る。久長門内ぎふ町、宝永入部頃伊奈氏の士家うら也)」と記す。
これによると、梛本の地は、久長門を西に入った北側の地域一帯で、江戸時代は侍町、ギフ町といわれ、今の姫路医療センター、姫路東高校が建っている辺りという。
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そして、梛本に小野江清水があった。
行ってみる。
久長門から。
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久長門を入った辺りが岐阜町。
通りを北側が上岐阜町、南側が下岐阜町だった。
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そして、上岐阜町側の姫路医療センター建設の際、鷺の清水と同じような遺構が出て来たとか。
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しかし、このように掘ってしまっているので、今となっては遺構は無いかも。
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残念ながら、小野江清水の場所は特定されていない。
江戸時代に書かれた『播磨名所巡覧図会』にも播磨国総社境内図の西側に「小野辺清水」の文字がある。
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また、万延元年(1860)に書かれた「姫路附近之古図」では、梛寺の西に「老延清水」として書かれている。
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ということは、梛寺や播磨国総社は今の姫路東高付近にあったらしいので、日本城郭研究センターのある辺りに小野江清水はあったのかな?
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城郭センター内を流れる水を小野江清水と思うことにして、後にしました。
今となっては何処にあったのか解からない小野江清水でした。

(おまけ)

日本城郭研究センターの南にある兵庫県歴史博物館。
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「赤松円心 則祐」展をやっていました。
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博物館の学芸員の解説は詳しくまた目の着け所が違い、大変勉強になりました。
12月2日(日)まで。
急げ!


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