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登城日 1回目 1993年頃 晴 2回目 1998年頃 3回目 2000年頃 4回目 2007年12月23日(日)曇時々雨 5回目 2008年 3月23日(日)曇 難易度 ☆☆ 場所 兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169 100名城で一番好きな城かもしれない。 津和野城と同じく、遠目で見ても山上に累々と石垣が横たわり素晴らしい! 竹田城の方がなお規模が大きく素晴らしい! 1回目に行った時は、時間を考えずに車で行ったがため、駐車場で日没を迎えてしまった。 その日は満月の夜だったので、月明かりを頼りに登城した。 月夜に薄ら映る石垣がスゴイ!と思いましたが、今思うとよく登ったなぁと呆れます。 4回目もまた途中で日没を迎えてしまいましたので、今回は満を持して登ってきました。 JR竹田駅。 1時間に一本しかありません。 不便ですねぇ。 今回は始発で来ました。 JRの人はなるべく早く到着することをお奨めします。 何と!駅に100名城のスタンプ。 前回わざわざ朝来市観光センターまでもらいにいったのに、こんなところにもあるなんて。 知らなかった… 駅前の案内図。 駅で竹田城の登城案内図が貰えます。 駅の反対側へ向かいます。 頭上注意! 寺町通り。 4つのお寺があります。 石橋が5つ架かっています。 但馬国で、江戸期に建造された石橋が7つ残っているそうですが、その内の5つだそうです。 これは、キティちゃんとピカチュウなんでしょうか? 常光寺本堂裏には太田垣光景の墓がひっそりとあります。 竹田城は、室町時代に但馬守護山名宗全により築城され、山名四天王の一人太田垣光景に守らせたという。 説明が無いので、住職に聞かないと解りません。 法樹寺には赤松広秀の墓があります。 竹田城を現在のような形としたのは、赤松広秀によるものと言われています。 赤松広秀は、播州龍野城主であったが、秀吉の侵攻により城を退去し一時は佐江村(龍野市)に隠棲、藤原惺窩に師事し、文武両道の将として秀吉に見出され竹田城主に抜擢されたが、、関ヶ原の合戦の時、鳥取城攻めに功あるも、亀井茲矩の讒言により城下に火を放った罪を一身に受け、鳥取の真教寺で自害した。享年39歳。これからだったのに…。 竹田城主時代に善政を布いたため、領民に慕われたという。 また、赤松広秀が漆器作りを奨励したのが始まりで家具作りが発展。 昔テレビCMでやっていた(今も?)「和田山竹田家〜具♪」につながるという。 その裏には居館跡がある。 平時は山麓に居住していた。 寄り道が長くなったが、いよいよ竹田城へ登城。 居館跡を右へ。 開けたら閉める。 何でこんな柵があるのでしょうか。 よく考えてみましょう! 登ること約30分、大手門跡下に到着。 説明板があります。 上から見下ろす。 二の丸から見た大手。 北千畳。 北千畳から見えた支城、観音寺山。 三の丸へ。 石垣がちょっと赤っぽい。 三の丸。 北側に虎口が。 ちょっと寄り道。 下へ降りて行くと、井戸跡あり。 このあたりは杉林。 花粉症の人は要注意。 ここから道は無くなっているが、稜線伝いに道無き道を北千畳直下まで進むと、 登り石垣発見! 別角度で、と思っていたら… 下でガサゴソ あわてて直登。
むこうもビックリして逃げてしまったが、こっちは死ぬかと思いました。 要注意です。 あまり道をはずさないように。 帰り道も怖くなってきました。 何で、登城口に柵があったか理解しました。 イノシシ、鹿や熊が降りてこないようにしているのですね。 下山後、竹田駅から警察に連絡してもらいました。 と言いながら、もう一枚。 山城は、あと高取城と七尾城を残しています。 実は、高取城でも見えない動物に威嚇されたことがあります。 行くのが怖くなってきました。 (つづく) |
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2008年03月23日
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