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登城日 2007年 3月 25日(日)曇 難易度 ☆☆☆ 場所 岐阜県関市富之保大洞町一柳 天文年間(1532-1555)、宇佐見左衛門尉の創築といわれ、織田信長の美濃侵略後は郡上八幡城主遠藤慶隆の南下に備えて一柳直末が入城修築、天正10年(1587)、秀吉は慶隆を減封して、僻地賀茂郡小原・犬地に封じこめて、曽根城主稲葉貞通を入封させ、郡上郡に加えて武儀郡北部もその領地に編入した。
貞通は慶隆が隣接する賀茂郡に左遷された経緯から、遠藤氏に対する防備を忽(ゆるが)せにできず、八幡城の改築と併行して、大洞など六支城に一族を配して修築し、外郭防衛線の強化を図った。 中でも大洞城は賀茂郡から八幡に至る重要な位置にあったので、嫡子典通を城主として大改築を急がせた。 慶長5年(1600)、関ヶ原合戦に遠藤氏は東軍に属し、故地奪還を図り大洞城や八幡城を攻めた。 戦後稲葉氏は豊後臼杵城主として転封となり、八幡城に再び遠藤氏が復帰入城したが、領地は郡上郡内に限られたので大洞城は廃城となった。 (中世城郭事典より) 場所は関市の山奥にある。 岐阜バスセンターから岐阜バスで河合車庫行きに乗り、一柳バス停下車。 バスは本数が少ないので注意! 詳しい地図で見る 一柳神社を目指します。 その裏が大洞城です。 神社裏の窪地を進みます。 どうやら堅堀のようです。 直前まで雨が降っていたので地面はぬかるんで登りにくかった。 途中で道が解らなくなってしまいましたが、強行突破すると石垣が見えてきました。 石垣に触れないようにして這い上がると、比較的大きな曲輪があるが、木が生い茂り容易に進めない。 その先南に進むと大手で、道は水無神社まで続き、武儀倉口バス停に至る。 本来はこちらから登るべきだったようだ。 しかし誰も来ないので、途中道が通行可能な状態かは解らなかった。 (途中倒木なんかがあったりして引き返しました) 時間も無いので本丸へ向かう。 本丸への入口には櫓があったようです。 櫓台の石垣が残る。 別角度。 振り返る。 先へ進み、見上げると本丸の石垣が見えました。 近づく。 今来た道を振り返る。 本丸へ登る。 本丸は堅固な石垣で構築されていたようですが、持ち去られてしまったらしい。 本丸の様子。 小さな祠があるのみ。 木が生い茂り見晴しも良くない。 さっき乗ってきたバスの折り返しに乗らないと、そのバスが岐阜から折り返してくるまで延々と待たなければならない。 駆け足でバス亭へ向かう。 また石垣。 角度を変えて。 大洞城、さようなら。 堅堀を今度は降る。 途中で何度もズッコケながら、バス亭へ。 間一髪間に合いました。 しばらく心臓の鼓動の乱れが止まらなかったです。 疲れました。 |
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2009年03月10日
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