三日月の館

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沼田城(上野国)

登城日 2003年 5月25日(日)曇
難易度 ☆
場所   群馬県沼田市西倉内町

【沼田氏と沼田城】

沼田公園のある崖上の台地に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏の12代万鬼斎顕泰で、天文元年(1532)の頃であると云われています。
倉内城とも呼ばれたこの城は、関東へ至る要衝の地にあることから越後の上杉氏や小田原の北条氏、甲斐の武田氏などの戦国大名によりめまぐるしい争奪が繰りひろげられることになりました。
天正8年(1580)、武田勝頼の命により沼田に進出した真田昌幸は沼田城を攻略し、さらに翌9年には沼田城の奪還に来攻した沼田平八郎景義を謀殺して沼田氏を滅亡させました。
しかしこれ以後、この地の領有を主張する北条氏とこれに応じない真田氏との間に沼田城をめぐって攻防が続きましたが、同18年(1590)に北条方が真田方の名胡桃城を不法に攻略したことが契機となり、北条氏は豊臣秀吉の小田原城攻めにより滅亡しました。
秀吉は真田昌幸に対し信濃2郡と利根・吾妻の旧領を安堵し、昌幸は沼田城を嫡子の信幸に与え信濃国上田へ移りました。 

【真田氏と沼田城】

2万7千石の真田氏初代沼田城主となった信幸は近世的な城郭の整備にとりかかり、二の丸、三の丸、堀、土塁、大門等の普請の後、慶長2年(1597)(一説には12年)には天守が完成したと云われています。
現在の熊小屋付近に建造された天守は、幕府に提出した城絵図や古文書から規模は「九間十間」で「五重」であったことが分かっています。 
真田氏はその後2代信吉、3代熊之助、4代信政、5代信利と約1世紀にわたって沼田領を治めていましたが、天和元年(1681)11月、5代信利は江戸両国橋用材の伐出し遅延と失政の名目で城地は没収、改易となりました。
城は幕府に明け渡され、翌2年に城はすべて破却されて堀も埋められました。 

【その後の沼田城】

真田氏改易後、旧真田領は天領となりましたが、元禄16年(1703)本多正永が幕府より沼田城復興を命ぜられ2万石で入封しました。しかし、城の本格的な復興はなされず、城破却で埋められた堀の整備や土塁の構築などが行われたのみで、本多氏3代のあとは再び代官支配となり、その後享保17年(1732)黒田直邦が3万石で入封し、2代続きました。
寛保2年(1742)には土岐頼稔が3万5千石で入封し、土岐氏は12代頼知で明治維新を迎えて沼田城は廃城となりました。
真田氏改易以降は三の丸に藩邸が建造されたものの、天守が再び建造されることはありませんでした。
大正5年(1916)、旧沼田藩士の子である久米民之助は、城地の荒廃を惜しみ私財を投じて購入して公園として整備し、大正15年(1926)に沼田町に寄付されました。 

【現在の沼田城】

現在、本丸と捨曲輪と二の丸・三の丸跡の一部が沼田公園(一部市指定史跡)に、総曲輪の一部が沼田小学校や沼田女子高等学校の敷地となっています。
本丸跡に西櫓台と石垣、本丸堀の一部がみられ、僅かに城の名残を留めています。
本丸跡には鐘楼が建設され、真田信吉が鋳造させた城鐘(県指定重要文化財)が釣下げられています。
二の丸跡には、旧生方家住宅(国指定重要文化財)や国の登録有形文化財の旧土岐邸洋館、旧日本基督教団沼田教会紀年会堂が移築されています。 

【鐘楼】

寛永11年(1634)、領内の安泰を祈願して真田河内守信吉に鋳造されながらも城の破却などで浮沈の運命をたどった「城鐘」を保護しようと、明治20年(1887)旧沼田町役場敷地内に建てられたのが「鐘楼」。
昭和39年(1964)、市庁舎改築で取り壊されるまで、市民には「時鐘」として親しまれ、昭和58年(1983)沼田公園内に復元されました。
 *「城鐘」は、昭和29年(1954)3月30日、県の重要文化財として指定を受けています。 
(沼田市HPより抜粋)
沼田城は、地図上だと駅から近い。

詳しい地図で見る

しかし、沼田城とJR沼田駅の間には断崖絶壁が立ちはだかる。
行くまでに疲れてしまう。
イメージ 1

三の丸に僅かに残る土塁。
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二の丸。
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二の丸から見た本丸。
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本丸堀。
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別角度。
石垣が見えました。
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本丸堀説明板。
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e7-31/kanezane/folder/1510034/54/62591654/img_135?1536582162_
本丸御門跡。
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横には天守が建っていました。
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説明板。
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e7-31/kanezane/folder/1510034/54/62591654/img_131?1536582162_
本丸の様子。
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本丸には鐘楼が建てられています。
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鐘楼。
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発掘された本丸西櫓台。
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説明板。
(どうしてこんな撮り方をしたんだろう?)
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e7-31/kanezane/folder/1510034/54/62591654/img_133?1536582162_
西櫓台南西角。
ここはニセモノっぽい。
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西櫓台西面。
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西櫓台北面。
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西櫓台には御殿桜が生えています。
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御殿桜説明板。
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e7-31/kanezane/folder/1510034/54/62591654/img_132?1536582162_
根は石垣を抱えて守っているのか?
それとも少しづつ壊しているのか?
イメージ 17

下から見上げる。
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本丸から沼田駅方面を見下ろす。
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捨曲輪。
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平八石。
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平八石説明板。
(漢字では郎が無くなっている。英語表記にはあるのですが。間違えたのでしょうか?)
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e7-31/kanezane/folder/1510034/54/62591654/img_134?1536582162_
ここも土岐氏の城だったんですね。
守谷城、上山城、田中城、沼田城。
主要な城は制覇しました。
【江戸時代の土岐氏 藩の変遷】 
下総国守谷藩  1 万石
摂津国高槻藩  2 万石
下総国守谷藩  1 万石 (藩主・頼行幼少の為、減石され再封) 
出羽国上山藩  2.5万石(頼行、成長により知行回復) 
越前国野岡藩  3.5万石(ただし、摂津・河内国内の飛び地を含む。頼殷の大坂城代就任に伴う移封) 
駿河国田中藩  3.5万石
上野国沼田藩  3.5万石

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