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登城日 2005年 8月28日(日)晴 難易度 ☆☆ 場所 岐阜県大垣市上石津町宮237他 美濃国石津郡を所領していた高木貞利は、斎藤道三、織田信長、織田信雄に従ったが、豊臣秀吉により信雄が改易された際、甲斐国で蟄居させられた。 この後この地を所有した関一政が多羅城を築く。 築城時期は天正年間とも慶長年間ともいう。 慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの後、関一政は伊勢国亀山(現亀山市)に移封となり、代わって高木貞利がこの地に戻り、旗本となる。 このさい、高木家は3家に分かれ、高木貞利の西高木家(2,300石)、高木貞友の東高木家(1,000石)、高木貞俊の北高木家(1,000石)となる。 この3家を交代寄合美濃衆といい、大名格で3家隔年交代で参勤交代を行った。 翌年の慶長6年(1601年)、西高木家陣屋を築く。 かつての多羅城は緊急時用として一部が残されたという。 また、寛永元年(1624)より国役普請奉行を勤め、その後水行奉行(美濃国、尾張国、伊勢国の水利治水事業を行なう役目)にも任ぜられた。 西、東、北高木家陣屋は明治元年(1868)まで存続する。 西高木家陣屋の建物は天保3年(1832)に焼失したが、表門は嘉永5年(1852)に、屋敷は明治29年(1896)に再建されている。 また、当時の石垣と文化12年(1815)建設の埋門の石積みが残っている。 北高木家、東高木家の土蔵が現存するという。 西高木家陣屋跡の敷地内には、平成5年(1993)上石津町郷土資料館(現 大垣市上石津資料館)が開設されている。 (wikipediaより)多良城へは、大垣駅前バスのりば(大垣駅南)4番のりばより「多良・時」行き に乗ります。 関が原駅からもバスで行けますが、一回乗り継いだと思います。 詳しい地図で見る 三つの陣屋に分かれています。 かつてはこんな感じでした。 解りやすく解説されていました。 美の衆陣屋跡碑。 埋門がありました。 このあたりは北高木家陣屋あたりでしょう。 西高木家陣屋を見上げると石垣が見えました。 登ってきた道を振り返る。 西高木家陣屋跡。 大垣市上石津資料館になっていました。 説明板。 敷地にはお墓もあります。 東高木家陣屋跡。 東高木家の土蔵が現存。 勢州街道跡。 石垣が残る陣屋。 見応えはあるのですが、駅からかなり遠かったです。 |
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2009年06月23日
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